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 前々回のコラム「『江戸時代』に学ぶと言うこと」の続編として,江戸時代に学ぶもう一つの意味を考えてみたい。今回のテーマは,「江戸時代の人々はリタイア後をどう生きていたか」だ。現代の製造業で働く方々が「リタイア後」について考えるのに何らかの参考になるのではないか,と思ったからである。

 きっかけは,ある読者の方に,経済学者の野口悠紀雄氏が書いた「江戸時代のリタイア後人生」というコラムを紹介していただいたことだ。江戸時代に生きた方々の寿命やライフサイクルを考察することで「江戸時代」に対するまた違った見え方がしてくるのではないか,とコメントを頂いた。

 確かに,「江戸時代のリタイア後人生」という野口氏のコラムには,参考になる視点が多く提示されていると思った。まず野口氏は,江戸時代と現代に共通する点として,人口が減少し経済成長が鈍化する成熟化社会であることを挙げる。「江戸時代と現代とでは、技術水準も生活水準も国際環境も、まったく異なる。だから、単純な比較ができないことは明らかだ。しかし、成熟した社会がどのようなものであるかを考えるにあたって、江戸時代後半の社会は貴重なヒントを与えてくれるだろう」とする。

「世界最初の大衆リタイア後社会」

 その「貴重なヒント」として筆者が興味深かったのが,江戸時代の中でも特に後期は,「世界最初の大衆リタイア後社会」であったという指摘だ。農村部の女性など,ほぼ一生を子育てに費やして「リタイア」どころではなかった者も多かったと思われるのだが,都市のゆとりのある商人や武士階級の中では40歳半ばごろにはリタイアして「隠居」する者もかなりいたようである。

 江戸時代後期には,成人した者の平均死亡年齢は男61歳,女60歳だったというから,例えば45歳でリタイアすると死ぬまでに15年間程度の期間はあったということになる。それに対して現代では,25歳になった者の平均死亡年齢は,男78歳,女84.4歳なので,60歳でリタイアしたとすると約20年間となる。リタイアしてから死ぬまでに,江戸時代では15年間,現代では20年間---。つまり江戸時代では,平均寿命は短かかったものの,早くリタイアすることによって,結構長いリタイア後の人生を送っていたことになる。しかも,若いうちにリタイアするから健康で元気なリタイア生活だったと予想される。

 もちろん江戸時代に余裕のある隠居生活を送れたのは一部の層で,多くは食うや食わずの生活であったと思われるが,野口氏によると,欧州に比べれば,けっして金銭的に裕福な者だけが隠居をしていたわけではなかった。「一部の貴族や大富豪だけがリタイア後人生を楽しめたヨーロッパ社会とは、だいぶ違う社会だったことになる。多くの人々が隠居生活を楽しんだという意味で、日本は世界で最初に大衆リタイア後社会を実現した国だったといえるだろう」と同氏は書いている。

リタイア後を楽しんだのは農民・商人

 実はこのコラム「江戸時代のリタイア後人生」は,『「超」リタイア術』(野口悠紀雄著,新潮文庫)という本の一部を抜粋したものだ。残りの部分に興味がわいたので,さっそく購入して読んでみた。内容としては「リタイア」の話というよりは年金制度についての記述が中心であったが,「江戸時代」についての考察の続きで筆者が面白いと思ったのは,農民や商人の階級と武士階級を対比させている部分である。リタイア後に充実した人生を送っていたのは武士階級ではなく,農民や商人だったというのである。

 野口氏はこのような違いが生じた原因は,「農民や商人は『自営業』で自立していたのに対して,武士は『藩』という巨大組織の中で相互依存的に生きる『組織人』だった点ある」(本書p.75)と見る。

 そして,野口氏が「江戸時代の武士は隠居生活を楽しんでいなかった」という見方をする一つの例として示したのが,藤沢周平の小説『三屋清左衛門残日録』であった。この小説は,三屋清左衛門というある東北の小藩で順調に出世して藩の要職を勤めた後に円満に隠居した老人が自らの隠居生活を日記風に書き記すという話だ。

 実は筆者は,藤沢周平の小説が好きで,主要作品は繰り返し読んでいる。さっそく,本棚で埃をかぶっていた『三屋清左衛門残日録』(文春文庫)を引っ張り出して,再読してみた。読み返してみて気付いたのだが,三屋清左衛門が隠居した歳が52歳なのであった。筆者はそれまで清左衛門は60歳過ぎの老人だと漠然と思っていた。

 52歳といえば,筆者と同じ年齢ではないか。清左衛門と同じ歳になったからだろうか。40歳代のときに読んだときよりは清左衛門の境遇や心情が理解できるような気がした。清左衛門は,49歳のときに妻が死んだこともあって勤めに疲れ果てて隠居の決心をした。隠居するまでは悠々自適の晩年を夢想していたのだが,その3年後に実際に隠居したときに襲ってきたある喪失感に戸惑うのである。例えば,こんなくだりだ。

 「清左衛門が思い描いている悠々自適の暮らしというのは,たとえば城下周辺の土地を心ゆくまで散策するというようなことだった。散策を兼ねて,たまには浅い丘に入って鳥を刺したり,小川で魚を釣ったりするのもいいだろう。記憶にあるばかり久しく見る機会もなかった白い野ばらが咲きみだれている川べりの道を思いうかべると,清左衛門の胸は小さくときめいた。ところが,隠居した清左衛門を襲って来たのは,そういう開放感とはまさに逆の,世間から隔絶されてしまったような自閉的な感情だったのである。」(本書p.13)