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 まずは,この図を見ていただこう。

 「PEOPLE MAKE THEIR MEANING」と読んだ人が,多いのではないだろうか。アルファベットの下半分が欠けているように見えるため,想像で補いながら,そこに何らかの意味を見い出そうとする。これは人間の脳の自然な働きである。

 そして,そのような人間の脳の働きこそが,“企業のイノベーションを阻害する要因”の一つなのである。空白を自分勝手に埋めて,理解した気になってしまう。

 日常の業務の中で,似たようなことがいくらでもある。例えば,顧客の動向を見て,こんなことが起こるはずだと決めつけてしまう。新聞の見出しを読んで本当の意味が分かったと思い込んでしまう。そんなことが毎日起きている。

 冒頭の図で隠されていた下半分を見てみよう(ここをクリック)。

 現実は全く意味のない文字の羅列だ。意味があると思っていたものに,何の意味もなかった。現実は想像とまるで違うことがある。思いこみや先入観を廃して発想できる企業と,それができない企業が,イノベーションを起こせる企業と起こせない企業の差を分けるのである――。

 先日,米Autodeskのフェロー Tom Wujec(トム・ウージャック)氏にインタビューする機会を得た。以上は,ウージャック氏が語った話の一部である。インタビューは非常にエキサイティングなものであった。「記者のつぶやき」を使って,彼のイノベーション論を紹介したい。

 ウージャック氏が勤めるAutodeskは,世界有数のCADベンダーだ。マイクロソフトやオラクルに次いで,ソフトウエア会社としてトップ10に入る売り上げ規模を誇る。ところが,当人たちに言わせると「自分たちはもはやCADベンダーではない」という。事実,Autodeskはここ数年,Buzzsaw.com社やRevit Technology社,Alias社などソフトウエア会社の買収を繰り返し,CADは製品ラインナップの柱の一つに過ぎなくなっている。

 ウージャック氏は,これからのAutodeskを象徴する存在である。ソフトウエア会社のフェローとして世界各国の企業の経営者や現場担当者とかかわるものの,製品導入コンサルティングなどはしない。その企業がどうしたらイノベーションを起こせるかをひたすら研究するのである。

 ウージャック氏は「イノベーションを阻害する三つの要因がオフィスにまん延している」という。

 一つ目は「Change Blindness(変化に対する盲目)」。ビジネスの世界では,あまりにも多くの変化が起きている。顧客も変わるし,競合も変わるし,新技術も出てくる。人間は,あまりにも多くの変化に直面すると,神経系統の一部が閉じてしまう。少しの変化があるときよりも,多くの変化があるときの方がかえって盲目になってしまう。顧客や競合,技術の変化に気づかなかったり,気づいても遅すぎることになってしまう。

 二つ目の問題は「Continuous Partial Attention(継続的・部分的な注意力)」。マイクロソフトのあるリサーチャーが北米のビジネスパーソンの置かれている状況を表すために作り出した言葉だという。その意味は,ある仕事をしているとき,その仕事に向けられる人間の注意力は半分しかない。残りの半分はどこかほかに向いているということだ。ミーティング中でも,メールが届いていないか気になる。注意力が継続せず,分散しているがゆえに,全身全霊でその仕事に向き合えない。英国のある学校の調査によると,1日75分以上メールをしている人たちはIQが10ポイント下がるという結果が出ている。アルコールで酔っぱらってもIQは5ポイントしか下がらないのにである。

 三つ目の要因は「Fill in a Blank(空白の充てん)」。これが,冒頭に紹介した“思い込みの問題”である。人間の脳は,本当は何の意味もなくても,空白があるとそれを埋めようとする。企業がそのような状況に入ると,まるで夢を見ているような状態になり,本当の現実が見えなくなってしまう。

 「この三つがあるから,インテリジェンスの度合いが下がり,イノベーションが阻害されるのだ」とウージャック氏は言う。イノベーションは偶然生まれるのではない。イノベーションは,意識的な行動によってもたらされる。意識的な行動とは,この三つを排除していくことにほかならない。

 人間の処理限界を超える手助けをしてくれるITは,イノベーションに有効であることは間違いない。だが,ウージャック氏の話を聞くと,イノベーションには必ずしもITは必須というわけではないことが分かる。

 ウージャック氏によると,エンジニアの疲弊に悩んでいた米ゲーム会社大手のエレクトロニック・アーツ(EA)社では,エンジニアがゲームの登場人物になりきって寸劇をすることで,膨大な機能を自らが体感し,モチベーションを持って開発に臨めるようになったという。イノベーションは技術の進歩や市場環境の変化など外的要因によってだけ起こるのではない。人間の内側を刺激することでも,イノベーションは起きるのである。

■変更履歴
Continuous Partial Attentionのスペルミスなどがありました。お詫びして訂正します。 [2008/07/02 13:20]