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 株主総会を無事に終えた顧問先企業での慰労会の席にて。

「タカダ先生,第53回第56回のコラムで確率論を用いた話がありましたよね。あれって話としては面白いのですが,弊社内では『バーチャルの世界だ』という意見があるんですけど」

 おっと,いきなり挑発的な問いかけですね。でも,残念でした。販売管理や在庫管理に確率論を用いてコントロールするのは,昔から採用されている管理手法です。筆者も公認会計士として駆け出しのころ,某企業で「鬼の資材部長」と恐れられた人から,計算尺を使った確率計算のノウハウを伝授してもらったことがあります。

「へぇ,計算尺ですか」

 ところが残念なことに,近年のITシステムはプログラミングの教本を参照することに忙しく,歴史の中で積み上げられてきた「知的ノウハウ」を継承せずに構築されているようです。バーチャルと言っているようでは,御社でも「知的ノウハウ」の断絶が起きていますね?

「あ,いえ,そういうことでは……」

 かといって,何でもかんでも確率論で予測できるわけではないことも確かです。いくつかの前提条件が必要です。そのうちの一つに「大数(たいすう)の法則」があります。

「サンプルの数が大きければ大きいほど,つまり無限になるほど,ベースとなる集団の平均に近くなる,というヤツですね」

 大数の法則があるから,消費者という,ある意味で無限ともいえる集団の約3分の2を,企業の掌(てのひら)の上で踊らせることが可能になります。

「3分の2という数値について,具体的な根拠はあるのですか? まさか,2分の1の分母と分子に1だけ足したもの,といった考えをする人はいないでしょうが」

全体の3分の2は「当たり前のもの」と想定できる

 言葉で説明するより,米マイクロソフト社製のExcelを使って確認することにしましょう。ExcelのNORMDIST関数を使って,正規分布において平均値を中心に標準偏差=1の範囲内にサンプルの値が存在する確率を求めると,0.682689…という無理数になるはずです。これを百分比で表わすと約68%,3分の2超となる理屈です。つまり,平均値を中心に標準偏差=1の範囲内というのは正規分布の中で全体の3分の2を占め,ほとんどの事象を「当たり前のもの」として想定できることを教えてくれます。

「だから,全体の68%に相当する消費者を,企業はその掌の上で転がすことができる,というわけですか」

 ただし,いまは「正規分布」という表現を使いましたが,正確には「t分布」というものである点に留意してください。
「ティ,ティぶんぷ?」

 例えば,第53回のコラムでサンプルの数を31以上とすると,「自由度30(=31-1)のt分布」といって正規分布に近似しますから,t分布を知らなくても,あながち誤りではないでしょう。第56回に登場した二項分布も,正規分布の仲間です。いずれにしろ,サンプルの数が多くなるとt分布や二項分布は正規分布に近似して,企業の思惑通りにコトが運ぶというわけです。

「企業のマーケティング戦略おそるべし,といったところですね」

 マーケティングに限らず,ほら,そこの六法全書に収録されている会社法の条文にも標準偏差の仕組みはありますよ。

【会社法309条2項】
株主総会において議決権を行使することができる株主の議決権の過半数を有する株主が出席し,出席した当該株主の議決権の三分の二以上に当たる多数をもって行わなければならない。

 民主主義の原理からすれば,同条1項の普通決議で足りるはずです。それにもかかわらず上記の第2項で特別決議を採用しているのは「標準偏差=1」,すなわち3分の2以上の決議ともなれば,株主の誰もが「当たり前のように受け止めているだろう」と法が想定していることになります。

 また,取締役会設置会社(会社法331条4項)や,監査役会設置会社(会社法335条3項),委員会設置会社(会社法400条1項)などでは,員数を「3人以上」としています。これは3人という数に意味があるのではなく,「奇数」という仕組みを株式会社制度に潜り込ませることによって,議事の採否を必ず実現させるようとしているのです。

「ははぁん,そうなると,例えば取締役の員数を偶数としている会社は,マヌケなんですね」
マヌケというのは語弊があるかもしれませんが,社会制度には至る所に,ヒトのココロを無意識のうちにコントロールする「リーガルマインド」が隠されているのです。

 本コラムのメインテーマであるコスト管理にも標準偏差の仕組みは隠されていますよ。例えば,先ほどのNORMDIST関数で「標準偏差=3」とすると0.997,すなわち平均値から標準偏差=3の範囲内にサンプルの値が存在する確率は99.7%になります。その裏返しとしての0.3%が,企業会計審議会『原価計算基準』第5章にある「異常な状態に基づく差異」です。こうしたものは第二次世界大戦が始まる前にはすでに確立されていた仕組みであり,その延長線上に,生産管理の世界では有名な「シックスシグマ」などがあります。

 近年,リーガルマインドなどを知悉(ちしつ)している鬼軍曹が,そのノウハウを伝授することなく,IT化の波に押されて徐々に引退しています。その反動として,ビジネス社会のあちこちに仕組まれている法則(例えば「ベイズの定理」や「ランチェスターの法則」と呼ばれるものなど)が忘れ去られて,第53回コラムに登場した乙社の担当者のように途方に暮れたり,勝手に解釈して横車を押したりする人が増えるようになります。

「でも,確率や標準偏差に操られるのはイヤだなぁ。ほら,物理学者のアインシュタインは『神はサイコロを振らない』といったでしょう」
もちろん,無視しても構いませんよ。その代わり,巨額の異常差異や非原価項目を抱えることになっても泣き言をいわないでくださいね。

■高田 直芳 (たかだ なおよし)

【略歴】
 公認会計士。某都市銀行から某監査法人を経て,現在,栃木県小山市で高田公認会計士税理士事務所と,CPA Factory Co.,Ltd.を経営。

【著書】
 「明快!経営分析バイブル」(講談社),「連結キャッシュフロー会計・最短マスターマニュアル」「株式公開・最短実現マニュアル」(共に明日香出版社),「[決定版]ほんとうにわかる経営分析」「[決定版]ほんとうにわかる管理会計&戦略会計」(共にPHP研究所)など。

【ホームページ】
事務所のホームページ「麦わら坊の会計雑学講座」
http://www2s.biglobe.ne.jp/~njtakada/