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春は人が動く季節。新メンバーを迎えた職場も多いだろう。古株としては,新顔を一刻も早く自分たちのやり方になじませたいところ。だが,B課長は既存の流儀に固執するあまり,若手SEのやる気をくじいてしまった。被害者は,支店から転勤してきたばかりのA君である。

イラスト 野村 タケオ

 「私たちSEは,営業から言われたように対応していればいいんだよ。顧客への最終的な責任は,営業担当者が持つんだから」。B課長の言葉に,A君(28歳)は絶句した。「なんなんだ,この職場は」。

 大手システム・インテグレータのA君は,2006年3月の人事異動で本社に着任したばかりの若手SEである。それまでは,中部地方の某県にある支店に勤務していた。支店では流通業向けのシステムを担当し,新規開発や機能追加,バグ対応など様々な経験を積んできた。SEの人数が少ない支店では,顧客からの要求に応じて1人で何役もこなすのが常識だった。多忙だが,やりがいのある実り多い日々だった。

 上司や先輩にも恵まれていた。中でも,Kマネージャはあらゆる面で尊敬できる上司だった。エンジニアとしての実力は一流で,A君が開発に行き詰まるといつも的確なアドバイスをくれる。客先でトラブルが発生すれば先頭に立って動き,問題解決に全力を尽くす。そんなKマネージャは,周囲から絶大な信頼を得ていた。

 まだ経験の浅いA君に,仕事の進め方や顧客とのコミュニケーション,クレーム対応といった実務をたたき込んでくれたのも,Kマネージャだった。それだけではない。「顧客から相談を受けたら,複数案を用意したうえで,最善策を明示する。それがプロの仕事だ」「存在感のあるエンジニアになれ」──。A君は,ITエンジニアとしての心構えもKマネージャから学んだ。

 支店の同僚たちが開いてくれた送別会でも,KマネージャはA君を励ましてくれた。「A君の仕事ぶりなら,安心して送り出せるよ。本社でも,ずっとその調子で続けてほしい」。A君は,「早く一人前になってKさんに追い付けるよう本社でもがんばります」と答えた。この先,本社で理不尽な仕打ちを受けることなど知る由もなかった。

「余計なことはしなくていい」

 A君は本社で,流通サービス本部に配属された。初日の朝,A君は新しい同僚を前に「支店での経験を生かして,顧客に積極的に提案していきたいと思います」と宣言した。

 間もなくA君は,中堅量販店のS社を担当するチームに加わった。A君はさっそく,営業担当のC主任に頼み込み,S社に同行させてもらった。IT推進室の M室長にあいさつするためだ。あいさつが一通り済むと,M室長がC主任に相談を持ちかけてきた。「新入社員にセキュリティ・ハンドブックを配布したい。ついては,データの取り扱いルールや,順守しなければならない行動基準を盛り込んだチェック・リストを作ってほしい」というのだ。

 A君は「ここは,僕の存在を認めてもらうチャンスだ」と直感した。実は,A君は支店に勤務していたころ,あるスーパーマーケット・チェーン向けに,同じような資料を作ったことがあった。A君はすかさず,「今週中に資料を用意します」と答えた。M室長は,「それはありがたい。ぜひ頼むよ」と言った。C主任も「それでは,A君に任せることにしましょう」と,その場で同意した。

 3日後,A君は営業部門にC主任を訪ねた。約束したハンドブックの資料を見せるためだ。「M室長から依頼があった件です」。そう言って,A君は資料を差し出した。C主任は,資料をパラパラとめくりながら,「なんでこんなに分量があるの?」と尋ねた。A君は「前半に,コンプライアンスやセキュリティ・ポリシーのサンプルを入れました。新入社員向けということなので,基本的な考え方をきちんと明記した方がいいと思いまして」と説明した。

 ところが,C主任は「この辺は余計だからいらないよ」とあっさり言い,その前半部分をクリップから抜き取ってしまった。A君はちょっと戸惑いながら「一応,入れておいてはどうでしょうか。S社が不要と判断すれば,あちらで削除してもらえば済むことですから」と食い下がった。C主任は憮然とした表情で資料の束をA君に突き返し,「余計なことはしなくていい。一度こういうことをすると,次も期待される。いいから前半を削ってくれ」と言い渡した。

 一度は自席に戻ったA君だが,どうも釈然としなかった。顧客に聞きもせず,不要と決め付けるC主任の態度がふに落ちなかったし,せっかくの配慮を「余計なこと」の一言で片付けられたのが面白くなかった。そこで,上司であるB課長に,C主任とのやり取りを報告した。

慣習を優先し,SEの本質忘れる

 「営業から言われたように対応していればいいんだ」。B課長がこともなげにそう答えたのは,この時だ。K君は一瞬,聞き間違いかと思った。だが,そうでないことがB課長の次の言葉で分かった。「出過ぎたまねはやめておけ」。

 A君は,がく然としながらも尋ねた。「顧客が期待する以上のサービスを提供するのがプロですよね?」。B課長は「まあそうかもしれないが,すべての顧客に対してそこまでのサービスは提供できないよ」と答えた。A君は引き下がらなかった。「支店では『顧客の要望には,プラスアルファで応えろ』と教えられました」。B課長は,涼しい顔で答えた。「支店は顧客数が少ないからだよ。支店の数倍の顧客数,しかも大規模案件ばかり抱える本社でそれをやったら,業務が回らなくなる」。

 「でも…」。A君が言いかけると,B課長がしびれを切らして言った。「A君,ここは支店ではない。早くここでのやり方に慣れてくれないと困るよ」。A君は,すっかりやる気を失った。「ここで学べることはなさそうだ」。

 この日以来,A君は言われたこと以外の仕事には手を出さない“本社流”に徹することにした。他のSEの仕事には口を挟まない。顧客訪問もしない。「これでは,Kマネージャに顔向けできないな」と思いながらも,次の人事異動でどこか別の拠点に移れることを,ただ祈るだけだった。

今回の教訓
・顧客にサービスを提供する当事者はSEであり,営業担当者ではない
・ベンダーの体制にかかわらず,この顧客サービスの本質は変わらない
・若手の前向きな考え方や価値観を否定しては,やる気をくじく


岩井 孝夫 クレストコンサルティング
1964年,中央大学商学部卒。コンピュータ・メーカーを経て89年にクレストコンサルティングを設立。現在,代表取締役社長。経営や業務とかい離しない情報システムを構築するためのコンサルティングを担当。
takao.iwai@crest-con.co.jp