「ナレッジ・マネジメントが企業の勝敗を決める」と最近よく耳にする。しかし気をつけないとナレッジの共有化は,「法則の発見」や「傾向の把握」という面ばかりが注目されがちだ。個人のノウハウを共有化しようというのであれば,システムだけでは実現できない。ノウハウの共有化は,人事政策や業務面からのアプローチが主となる。ナレッジの活用に必要な意識改革がされてこそ,真の意味での「ナレッジ・システム」が完成する。
本記事は日経コンピュータの連載をほぼそのまま再掲したものです。初出から数年が経過しており現在とは状況が異なる部分もありますが,この記事で焦点を当てたITマネジメントの本質は今でも変わりません。 |
保険会社のO社は,金融自由化に伴う競走激化に対応するために,営業体制の強化と見直しを急いでいる。その一環として,今までは一部の部署でしか扱っていなかった新しい金融商品を全社で扱うことになった。
経営陣は,既存の保険商品についても販売活動の質的向上を求めている。この点について社内の企画部門で検討した結果,どの営業担当者でも同じ成果が得られるように,販売活動の内容や顧客へのアプローチ方法を標準化すべきだという結論になった。
金融商品の販売においては,コンサルティングの能力が不可欠だ。現在のように金融商品の品揃えが豊富になると,十分な商品知識がないと顧客の信頼を得られない。しかも多くの顧客は慎重かつ消極的になってきているので,顧客の気持ちを理解できないと話の糸口さえつかめない。こうした状況では,ベテラン営業と経験の浅い営業担当者の間には歴然とした差が出てしまう。
O社ではこれまでも営業活動の標準化を目指して,研修会やセミナー,マニュアルの整備などをしてきた。しかしながら必ずしもうまくいっていない。理由は,O社の営業形態が個人単位の独立方式であり,賃金もフルコミッション制をとっていることに尽きる。そのために営業担当者は自分のノウハウを同僚に教えたがらず,まして知識の共有化などはとても考えられなかった。
しかしながら企業を取り巻く環境が激変している今,販売ノウハウの共有化による営業の効率向上は,企業の存亡を左右するほどの経営課題になった。そこで全国の支店に対して,各支店単位および地域ブロック単位での情報基盤整備と情報共有の仕組みを作ることと,さらにそれを継続的に運用することが営業本部長名で言いわたされた。
情報システム部門に対しては,販売活動を均質にするためのソフトウエア・ツールを開発するよう指示が出た。情報システム部のM部長は直ちにプロジェクト・チームを編成して販売支援ソフトの開発に着手した。プロジェクト・チームでは当初,優秀な営業担当者の中から何人かを選抜して実際の現場で求められるノウハウを聴取し,そのエッセンスを盛り込もうと考えた。
ところが連日多忙でほとんど会社に顔を出さない営業担当者の時間を取ってもらってインタビューするのは至難の業だった。支店長もバリバリ仕事をしている営業担当者の意向には逆らえず,現場を巻き込んでのシステム要件定義は頓挫した。窮余の代替案として,金融関連のシステムを専門に構築しているソフト会社に依頼して,金融理論やポートフォリオを組み込んだ販売支援ツールを開発することにした。