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野村総合研究所 取締役会長 兼 社長 藤沼 彰久氏
野村総合研究所
取締役会長 兼 社長
藤沼 彰久氏

 日本の人口は2004年をピークに減少し続け、高齢者の独居世帯数の割合が増加している。人口の減少と世帯の高齢化は、住居・交通・通信などの各分野に大きな影響を与える。高齢者はすでに一通りのものを保有していて、移動なども少ないため、家計支出の減退を招き、消費全体は冷え込むことになる。

 一方、世界に目を向けると、BRICsやASEANなどでは今後も成長が続く。2015年には、1人当たりのGDPは3000ドルを超えると予測されている。1人当たり3000ドルを超えると、海外製品を輸入する人が急速に増加し、輸出企業にとって魅力的なマーケットになる。

 内需が減退し、海外市場が成長している中で、日本は大きな問題を抱えている。「ガラパゴス化現象」だ。

 ガラパゴス・イグアナに代表されるガラパゴス諸島の生物は、群れて暮らし、独自に進化したために他所では生きられず、海流の影響で島外との交流も閉ざされている。日本では、生活、産業・企業、地域のあらゆる側面で、これに似た「ガラパゴス化現象」が現れている。

グローバル化を阻む「ガラパゴス化現象」

 生活の面では、ここ10年、親世帯が都市部の子世帯の近くに転居し、群れるような大家族化が進んできた。また、若者が海外で働きたがらず、国内に目を向ける傾向も強くなっている。

 産業の面でも「ガラパゴス化現象」は多く見られる。携帯電話端末は、世界でトップレベルの機能を誇るが、日本以外では受け入れられていない。電子マネーも技術的に優れるFeliCaが世界基準にはなりそうもない。省エネを得意としているのに、地球環境問題では、日本と比べて技術的に遅れた国々のコンセンサスで議論されている。会計制度に至っては、日本はグローバルな基準を追いかけている状態だ。

 グローバル化に伴って護送船団型の産業政策が終焉を迎えた。企業と国の利益相反が生じ、生活者や企業、政府の関係は変化する。生活者のニーズと政策のミスマッチによる生活者の政治離れや、従業員と企業の相反が起きる。それに、情報通信産業などドメスティックな産業もグローバル化の変化の波に巻き込まれることになる。

 従って、今まさに「第三の開国」が必要なのではないか。
 日本は、第一の開国である明治維新、第二の開国である戦後復興を経験してきたが、いずれも外圧による開国だった。世界的にグローバル化が進んでいる今、自ら積極的に「第三の開国」に踏み切る時期だろう。

 「第三の開国」は、世界に門戸をより開くことであり、積極的に世界に出ていくことである。そのためには、“入ってくる”グローバル化と“出ていく”グローバル化を同時に進行させなければならない。

強化していく必要がある国際競争力と国際共生力

 “出ていく”グローバル化のポイントは、「Emerging」「Energy」「Environment」の3つの「E」であり、特に、急成長するエマージング経済圏に対応することが重要だ。エマージング経済圏では、日本が得意とするハイエンド市場が主戦場ではない。ミドルティアやローエンドの市場にいかに対応できるかが問われることになる。

 “入ってくる”グローバル化のポイントは「多様化」だ。例をあげると、東京・浅草の商店街が中国のクレジットカードに対応したり、秋葉原で家電やPCが外国人に売れたり、セブン銀行の在留外国人利用者が増えたりしている。また、外国人学生を受け入れる立命館アジア太平洋大学や、オーストラリア人の訪問が増えている北海道ニセコ町に見られるように、地方と海外の直接の結び付きも生まれている。

 グローバル化は身近な現象であり、ビジネスチャンスをつかむには、機動力と生産性の向上が重要だ。ITの果たす役割は大きい。ITの活用を、ビジネスイノベーションにつなげることが求められている。そのうえで、日本が「ガラパゴス化現象」から脱出するために不可欠なのが、国際競争力と国際共生力の向上である。

 国際競争力は、日本の得意とするハイエンド市場で、自らの強みを生かして提供価値の普遍性を追求し、ブランド力を確立することだ。一方、国際共生力は、ハイエンド市場での強みをモジュール化やプラットフォーム化して大幅にコストダウンを図り、ミドルティアやローエンドの市場に安くて良いものを供給するために欠かせない。

 国際共生力を強化し、世界中の様々な経営資源から最適の組み合わせを探索してパートナーと共存共栄の関係を築くことで、市場の多様性に対応しなければならない。当然、ビジネスモデルもハイエンド市場とは異なることを認識する必要がある。

 グローバル化で日本企業が生き抜くためには、グローバルなデファクトスタンダードの確立や採用を図り、国際競争力を強化し、国際共生力を磨くことが求められているのである。