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強みと弱み

 もう一つ、有機ELディスプレイが成功する要素としてよく語られることがある。それは「自発光」ということだ。液晶パネルの各画素は単なる光シャッターだから、必ず光源とセットで使わなければならない。けれど有機ELパネルは、各画素が発光する。これがスゴイというわけだ。光源がいらないから薄く、軽くなるという説明はわかる。けれど、展示会の説明員に言われた「自発光だから画がきれいでしょ」というのは、必死に見たけどよく分からなかった。そうでないことは知りつつも、私の目には液晶だって各画素が自分で光っているように見えてしまうのだ。

 逆に「自発光はダメ」と、その問題点をずっと以前から指摘されていたのが、日経マイクロデバイスの編集長を務めていた林裕久氏である。その理由はこうだ。液晶パネルの場合、各画素に駆動ICを通じて供給する電力は、光シャッターを動作させるだけに使うから実に微々たるもの。ところが、自発光のディスプレイでは、発光するために必要な電力をすべて駆動ICから供給しなければならない。このため、自発光型用の駆動ICは液晶パネル用のそれより必ず高価になる。

 パネル本体の方に目を向けると、有機ELパネルは液晶パネルと同様にTFT基板を使う。この点に注目し「有機ELは液晶で構築した技術を流用できるので、成功の可能性が高い」とみる向きもある。けれど、そのことは同時にネックでもある。有機EL用の基板が、液晶パネル用基板より安くなることはあり得ないことを示しているからである。

 基板のコストは頑張って液晶並みで、駆動ICは高価。製造技術の修練度は、液晶パネルとは大人と子供ほど違う。となれば、必ず有機ELパネルは液晶パネルより高くなる。それでも液晶パネルに対抗できる理由として挙げられるのは、その薄さと画質の高さだろう。しかし、市販の液晶パネルが、その薄さや高画質を達成するために投入可能な技術をフル活用しているとは思えない。コスト競争力を考慮し、「可能だが投入していない」技術が相当にあるようなのである。実際、ある液晶パネル技術者は「学会レベルのものを含め、先端技術をコスト度外視で投入すれば、相当に薄くてきれいな液晶パネルができる」と胸を張っておられた。

ムービング・ターゲット

 そもそも、液晶パネルと有機ELパネルでは、投入されている開発資金と技術者の数が全然違う。車輪や車体の能力はともかく、逃げる車の方には追いかける車よりケタ違いに馬力のあるエンジンが搭載されているのだ。この差こそ決定的だと個人的には思っている。今の液晶パネルを見て有機ELパネル陣営が「いつまでにこれくらいのパネルを」と勝利のシナリオを描いても、相手は「ムービング・ターゲット」。止まっていてはくれないどころか、しばしば予想を超える進化を遂げる。

 それに立ち向かう勇気を賞賛したい気持ちは大いにある。けれど、投資の判断を誤れば、大きな打撃を被るのは経営者だけではない。技術者を含むすべての従業員なのである。くどいけど、だから挑戦はダメだと言うつもりはまったくない。ただ、「本当のリスクは思考停止にある」ということだけは認識しておくべきだと思うのである。

 かつて液晶パネルは、大量流血しながら値段を下げ、ついにはブラウン管ディスプレイを駆逐するまでに成長した。その再演を夢見るのはいいけれど、この「リプレイス劇」には、大きな幸運があったことを忘れてはならない。液晶パネルは、その成長期に「ブラウン管では到底なし得ない」アプリケーションに恵まれたのである。

 カラー液晶パネルが出始めたころ、ある液晶技術者がこんなことを言っておられた。「液晶パネルの難しさは、ヘタな練習曲を聞かせてお金を払ってもらわなければならないことだ」と。当時の液晶パネルはブラウン管の表示性能に遠く及ばず、しかも相当に高かった。それでも「買ってやろう」という顧客が現れなければ先には進めない。その、気前のいいパトロンの役割を果たしたのが、当時急速に売れ始めていたラップトップ・パソコン、ノート・パソコンだった。

 有機ELパネルも同じだと思う。いきなり液晶パネルと競合するのは相当に難しい。その成長期を「授業料の高い学校に子供を行かせていると思って、赤字を覚悟で何年でも耐え抜く」という手はある。けれど、短期的な利益確保を重視する今の経営者と株主にその度量はあるのだろうか。それができる自信がなければ、「ポスト液晶」などというメディアの掛け声は聞き流し、「液晶パネルでは到底なし得ない」独自のアプリケーションや、光源などディスプレイ以外の展開を血眼になって探し出すほかにないだろう。それはそれで重い課題だと思う。

 そんなことを今さら言わなくても、参入メーカーの方々はよく分かっているのだと思う。「あまり評判になったものだから、ついついリップサービスをしてしまっただけ。ぼちぼちいきますから」ということかもしれないし、意外や「まだ内緒だけど、すばらしいアプリケーションを見つけたんだ」ということなのかもとも考える。けど、あれだけの努力を重ね、あれだけのものを作り上げつつ、事業継続すらままならない状況に陥る場面を目撃してきた身からすれば、あのころの悪夢が頭をかすめて心配で心配でしょうがないのである。いつもながら、私が心配したところでどうなる話でもないのだが。

この記事は「Tech-On!」で連載中の『思索の副作用』から転載したものです。バックナンバーはこちらからご覧いただけます。