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 アプリケーション・システムを担当するITエンジニアにとって,ITの技術を身に付ける以上に苦労するのは,業務知識を習得することだろう。ユーザー企業のプロパー・エンジニアならまだしも,ベンダーのITエンジニアは特に大変である。

 書籍や研修などで自分が担当する業界の一般的な業務をひと通り学習しても,その知識がそのまま使えるほど甘いものではない。実際の案件では会社ごとに “方言”が多数存在し,その理解に苦労する。また,エンドユーザーから業務に関する話を直接聞ける機会は限られている。「現場は忙しいから」とヒアリングを制限された経験は,多くのエンジニアにあるだろう。

 筆者がまだ若手SEのころ,ユーザーの業務知識習得で,思わぬチャンスを得た経験を紹介しよう。担当していたある地方銀行の国際部で,新たなディーリング・システムを導入することになった。そのシステムは,AS/400というオフコンで稼働するものであった。当時は汎用機中心の時代で,先輩SEたちは汎用機のプロではあったが,AS/400はよく分からないという。それなら若手に任せようと,筆者が1人で担当することになったのである。

 大きな仕事を任されて,筆者は張り切った。早速AS/400の社内研修を受講して,基本的なスキルを身に付けていった。ほとんど知識のなかったディーリング業務についても,通信教育で勉強を始めた。

 そんな勉強をしつつ,ディーリング・システムの導入に取り組んでいった。作業と打ち合わせのため,ほぼ毎日国際部を訪問した。銀行側のカウンターパートはA次長であった。A次長と何度か打ち合わせを繰り返す中で,筆者は通信教育で覚えた金融用語を少しずつ使い始めた。ある日,A次長からありがたい言葉をいただいた。「国際金融の勉強を始めたようだね。よかったら私がレクチャーしてあげようか。毎日よく来てくれるから私も協力するよ」。もちろん筆者は喜んでA次長のレクチャーを受けた。1回1時間程度,10回近くやっていただいたと思う。

 当時もありがたいと思ったが,今になって振り返ると,ものすごく貴重な体験であった。その後の仕事では現場のプロからこれほど念入りに業務をレクチャーしてもらったことはない。

 実は,この話には今だから言える裏の事情がある。仕事を任されて積極的に取り組んだことは間違いない。しかし,足しげく国際部に通ったのにはもう一つ別の理由もあった。

 若かりし筆者は,その地方銀行に常駐しており,情報システム部内に席をもらっていた。廊下から入ってすぐのその席は,人の出入りがせわしなく,情報システム部全員の視線を常に浴びる場所だった。慣れてはいたが,どこかでストレスを感じていた。

 それがある日から筆者の“個室”ができた。AS/400は,国際部の小さな会議室を改造した専用のマシンルームに設置されたのだ。マシンルーム用の空調で少々寒いが,システム部の席と比べると非常に快適である。「これはラッキー!」とばかりに,たいした作業がなくても個室に通ったのである。

 正直に言えば,システム部にいるのが嫌でサボリ目的で行ったことが何度もあった。ところがこのサボリも含めてA次長は,筆者のことを毎日熱心に来てくれる若手SEと評価し,個人レクチャーまでやってくれたのだ。そうなると筆者もサボリどころではない。元々ディーリング・システムに対するモチベーションは高かったので,国際部に行く正当な理由ができたのは大歓迎であった。

 若いころのお粗末な話で恐縮である。だが「塞翁が馬」ではないが,何が幸いするか分からない。チャンスがあれば積極的にエンドユーザーに飛び込んで,コミュニケーションを取ろうという姿勢を,常にITエンジニアには持っていただきたい。

永井 昭弘(ながい あきひろ)
1963年東京都出身。イントリーグ代表取締役社長,NPO法人全国異業種グループネットワークフォーラム(INF)副理事長。日本IBMの金融担当SE を経て,ベンチャー系ITコンサルのイントリーグに参画,96年社長に就任。多数のIT案件のコーディネーションおよびコンサルティング,RFP作成支援などを手掛ける。著書に「RFP&提案書完全マニュアル」(日経BP社)