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1960 年生まれ,独身フリー・プログラマの生態とは? 日経ソフトウエアの人気連載「フリー・プログラマの華麗な生活」からより抜きの記事をお送りします。2001年上旬の連載開始当初から,現在に至るまでの生活を振り返って,週1回のペースで公開していく予定です。プログラミングに興味がある人もない人も,フリー・プログラマを目指している人もそうでない人も,“華麗”とはほど遠い,フリー・プログラマの生活をちょっと覗いてみませんか。

 独立してシステム開発の仕事をしていて,しかもネット関連だと言えば,多少は稼いでいるように思われるかもしれない。確かにいい時期はあった。しかし,それはほんとうに一時期の話であって,今はどうかと聞かれれば「それほどでもない」というのが正直なところである。ネットワークにおけるトランスポート層からアプリケーション層の間に限って言えば,ネット関係の技術市場はすでに成熟し,飽和点に達している感がある。このような状況だから,仕事の単価も右肩下がり,よくても横ばいである。

 成熟しているのは技術面だけではない。例えばあなたが資金を出して,ネットで書籍を販売するサービスや,オークションをするサービスを今から始めたとして,はたして儲かるだろうか。そもそも,そうしたサービスを今から始めたいと思うだろうか。逆に考えてみても良い。そういったサイトが新規に開店したというだけで魅力を感じるだろうか。答えはおそらくNoに違いない。新しく始めようという人がいなければ,新しく作る仕事も存在しない。

 以前にも書いたが,いまどきWebを使ってちょっとしたデータベース・アプリケーションを開発するくらいなら誰にでもできる。それでは,大手のWebサービス業者と肩を並べるほどの機能と品質を持ち合わせたシステムを構築できるかと聞かれれば,大抵の人が二の足を踏むに違いない。もし大手と同じサービスを実現できたとしても,それでビジネスになるかと言えば,そんなこともない。誰かが思いつきそうなサービスを実現することに価値がある時代はとっくの昔に終わってしまったのだ。

 もう少し例を出そう。あなたは,今持っている携帯より高機能なものがほしいと思うだろうか。あるいは,現時点の最新機種と同じ価格で10倍高速なパソコンがあったとして,冬のボーナスでパソコンを買い換えようと思うだろうか。そう。ソフトウエアだけではなく,ハードウエアをやっている人たちも,そろそろやばいと感じているのである。携帯を財布代わりに使えるようにしてみたり,高速回線と高性能のグラフィックス・カードがないとまともにプレイできないゲームを出したりと,新しい需要を作り出すために必死である。何もしなくても売れる時代ならマイナーチェンジを繰り返すだけで良いのだが。

 こういう時代は,私のように一人で仕事をしている技術者にはとてもつらい。簡単な仕事なら,おそらく私より安く引き受ける人がいくらでもいる。大掛かりな仕事は一人ではこなせない。だからといって,今さら事務所を構えて社員を抱えるほどの見通しは立たない。もちろん,手に負える規模の仕事をそれなりにこなして,細々と食っていくのも選択肢としては悪くはない。しかしもう一つ,技術者である私にとって重要なことがある。仕事がとてもつまらないのである。

 企画書を見て全体のフローを確認する,データベースを設計する,Webのページを作りながらプログラムを作成する,システムをセットアップして動かす,テストして引き渡す。毎度同じことを繰り返しているに過ぎない。最初からすべて見えている。それで食っていければいいじゃないかと言われればそれまでだが,動くかどうかのドキドキもないし(もちろん,今どき「動くかどうかわかりません」では済まされないが),動いたときの達成感もない。何か物足りないものを感じる。私はもっと刺激がほしいのだ。

 聞くところによると,人はある種の刺激を受けると脳内で快感物質を分泌するという。ところが刺激を繰り返すと快感が弱くなり,より強い刺激を求めるようになるのだという。もしかすると,私はいつのまにかそういう体になってしまったのかもしれない。だとすれば,いったい私は何によって快感物質を分泌する体質なのだろう。経済的な報酬? いや,自分で言うのも何だがどうやらそうではないようだ。仕事が片付いたときの,激務によるストレスからの解放感? なんとなく近いような気がする。それとも…,ひょっとすると「技術依存症」? ふと思い当たることがあって自分でドキっとした。確かに昔から新しいことを次々と追い求める傾向がある。しかも,それで一つの道を極められればいいのだが,途中でほかのものに目が行くと今度はそちらに向かってまっしぐらに突き進んでしまう。

 学生のころ,研究室の教授に「君は何を目標にしているのかわからない」と笑いながら言われたことがある。この歳までどうやら変わらずにそのままだったということなのかもしれない。もっとも,楽観的に考えれば,このような性格ゆえに「広く浅く」とか「狭く深く」ではなく,「広く,そして適度に深く」という道を歩んで来ることができ,そのおかげで今のポジションがあるのも確かだ。

 しかし,刺激がないからといって仕事にならないのではお話にならない。なんとか仕事へのモチベーションを取り戻さなくてはと思う。だが,もしかするとすでに手遅れかもしれない。過去の「よかった時期」にもっと努力して,収益を確保しつつ,自分としては楽しくない仕事を誰かに任せるようにすれば,いまごろもっと刺激的な日々が過ごせたのかもしれないのだ。いまごろ悔やんでも取り返しはつかない。独立して5年目の下半期に入った。来年の正月はどんな気持ちでキーボードをたたいているだろうか。