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 「マル・エン」という言葉を聞いて青春時代を思い出す人も多いだろう。マルクス・エンゲルスの略称だ。彼らの思想であるマルキシズムは、共産主義の中核であり、当時の学生運動の理論的中枢を占めていた。

 ところが80年代前半には学生運動そのものが風化した。なにしろかつての学生運動家が信じていたのとは異なった現実が明らかになっていたからである。「永久革命」の夢を乗せていたはずの中国文化大革命の否定、カンボジアのポル・ポト政権による大量虐殺、そして、なによりも衝撃的であったのは「社会主義の祖国」ソ連の実態が明らかになってきたことだ。深刻な物不足、言論や集会その他諸々の自由の束縛、異常なまでの軍事力、スターリン時代には「史上最大の虐殺」が行われた。

 かつて日本の教科書の中には、文化大革命や人民公社を好意的に取り上げるものもあり、北朝鮮に対する記述でも平和的勢力のイメージを与えるものがあった。「ソ連は社会主義だから公害がない」という記述もあった。確かに「公害」を「私企業や一個人の利益獲得のための活動によって地域住民の被る人為的災害」であると解釈すれば、そういう意味での「公害」はソ連には存在しなかったかもしれない。

マルキシストが雪崩を打ってエコロジストに転身

 ところが環境問題という意味では、対極に位置するはずの米国に負けず劣らずの横綱ぶりであった。

 ノルウェーのディープ・エコロジストであるアルネ・ネスは、ソ連の科学者が集まったある会議で、バイカル湖の汚染についての言及に、ソ連アカデミーの重鎮が批判を加え、「湖の汚染などになぜ議論の時間をつかうのだ?必要ならば原子爆弾で大穴をつくり雨水をためれば十分だ」というとんでもない意見を述べたことを記しているが、これは米国にも出てこなかったような暴論である。物不足で人権抑圧の上に環境問題では、物資豊富で人権重視ながら環境問題を引き起こしている米国以下と言われても反論できないだろう。

 「鉄のカーテン」の背後にあった、こうした実態が明らかになると、かつてのマルキシストも観念せざるを得なくなる。ある程度良心があった者は、自己批判してマルキシズムを捨て去ったが、中には開き直る者もいた。特に大学などではマルキシストの教授が授業を通じて「悪いのはソ連であってマルクスではない」とか「ソ連はマルキシズムではない」といった、自己を正当化する発言をしたそうである。

 その中でも、利にさとい連中は「エコロジー」方面に避難場所を見いだしていく。90年代を通じて「環境保護」はマルキシストの避難所となり、多くのマルキシストが雪崩を打ってエコロジストに転身した。これはもともと環境保護運動をしていた人にとり、歓迎するとともに一抹の苦々しさを与えるものであったらしい。環境問題に関心を持つ人が増えるのはありがたい。

 しかし、ベトナム反戦運動などが盛んだった頃、左翼運動家達は「地球の問題は現状の問題から目をそらさせるもの」と批判していた。企業経営者、保守政治家、保守思想家はおろか一般市民からもエコロジストは「赤」と思われ、実際の「赤」からは逃避主義と批判されていたわけだから、踏んだり蹴ったり。そのあげく、かつてのマルキシストが環境問題を語るのはなんとも虫がいいと思うのが当然だろう。

 しかしもともとマルクスとは反エコロジー的な思想家であったから、これを「緑化」するのは容易ではない。相当の加工を必要とする。ところが「隠れ蓑」として慌ててエコロジストになろうとしたからすぐにぼろが出る。日本では、研究者でも市民運動家でも、今までの理論に「環境」を付加しただけの存在が圧倒的に見える。つまり従来の主張を変えず、「第5の車輪」として形式的に「環境」をつけただけなのだ。車は4つの車輪で動くから、「第5の車輪」はいつでも捨てられることになる。