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 先日,ある金融マンと一杯飲む機会があった。彼から思わずぽんと膝を打つ言葉を聞いたので取り上げてみたい。

 彼はある金融機関の外国為替ディーリング部門で部長を務めている。その彼が,日頃から部下に対して口を酸っぱくして言っているのが,「バックあってのフロント」という言葉だそうだ。

 フロントとは表に立ってモノを売り買いして収益に直接関与する部門,バックとはフロントの仕事の結果を集計・記録したり分析したりして,企業活動の成果として数字に反映する部門のことである。演劇にたとえるなら,フロントが俳優,バックが裏方ということになる。この金融マンが言っているのは,「裏方あっての俳優」という言葉に等しい。

 この言葉自体は,古くから言われていることであって特に珍しくはないだろう。しかし,言われているほどその精神が現場に浸透しているかというと甚だ疑わしい。

 例えば,筆者が以前勤めていた銀行の外国為替ディーリング部門では,フロントの人間がバックの人間を手足のようにこき使っていた。人事評価もフロント有利,給料もフロント有利で,バックの人間は冷遇されていたのである。

 ほかの多くの業種でも,そうではないだろうか。第一線の営業担当者が優遇され,経理や総務の担当者は日陰者扱い。しかし,経理や総務があるから営業担当者は業務に集中できるわけで,まさに「裏方あっての俳優」なんだが,実態としてはそう見られていない。冒頭で紹介した金融マンの言葉に筆者が感動したのは,フロントのトップである彼がそういう認識を持っていること,そして部下にそのことを徹底しようとしていることにある。

 ここまでバックとフロントについて述べてきたのは,その関係がまさにシステム部門とユーザーの関係に酷似しているからだ。情報システムという存在,さらにはその開発という仕事が,裏方であることは言うまでもない。ユーザーは,システムを使って実際に金を稼ぐ人間であり,すなわち俳優である。裏方であるシステム部門は,ユーザーの仕事を支えるために,彼らのニーズに沿ったシステムを開発し提供する。

 しかし,裏方の作ったシステムがなければ,ユーザーは仕事をうまく遂行することができない。それどころか,ビジネスフローのIT化が進んだ現代では,システムなくして仕事は成り立たない。まさにシステムあってのユーザーなのだ。

 にもかかわらず,ユーザーがシステム部門を見る目は,えてして冷たい。「裏方あっての俳優」などという感謝や敬意を感じることはあまりない。少なくとも筆者が現役SEだったころはそうだった。むしろ「おれたちの言う通りに作ればいいんだよ」といった高圧的な態度が目立ったものだ。

 だが,冒頭の金融マンのように,まれに物事を心得ているユーザーもいる。面白いことに,そういう人が中心となって進むプロジェクトは,たいていうまくいく。それはそうだろう。SEだって人間であり,心までデジタル化されているわけではない。気持ちのよい関係を築けるユーザーのためなら一生懸命にやるが,そうでないユーザーに対しては,どうしても集中力の欠けた仕事になってしまう。当たり前の話だ。

 「バックあってのフロント」,「裏方あっての俳優」。うわべだけではなく,この言葉を名実ともに現場に根付かせたいものだ。

 そのためにはSE自身も意識を変える必要がある。ユーザーを神様みたいに下から見上げるのではなく,「バックあってのフロント」という自負を持ち,時には見下ろすくらいの毅然とした態度で接しようではないか。もちろん,それに見合う実力を身に付けなければ,到底不可能な芸当であることは言うまでもない。

岩脇 一喜(いわわき かずき)
1961年生まれ。大阪外国語大学英語科卒業後,富士銀行に入行。99年まで在職。在職中は国際金融業務を支援するシステムの開発・保守に従事。現在はフリーの翻訳家・ライター。2004年4月に「SEの処世術」(洋泉社)を上梓。そのほかの著書に「勝ち組SE・負け組SE」(同),「SEは今夜も眠れない」(同)。近著は「それでも素晴らしいSEの世界」(日経BP社)