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5人で活動を開始

 コンポネント事業部の無駄なコストとして大きく問題になっていたのが「部品打ち切りによる無駄の発生」だった。当時、設計者が選定した部品が、部品メーカーの都合で打ち切りとなり、その対応のせいで急きょ生産計画が変更になることや、代替部品の手配に追われることが実は少なくなかった。部品を変更することで、旧部品の在庫を廃棄したり、プリント基板のパターンを改版したりと様々な派生コストが発生していたのだ。

 この対策として、検討されていたのが、部品情報のデータベースをコンテンツと検索エンジンごとまとめて買って使う案だった。これを購入すると数億円もかかり、その代わりに100万点の部品情報が入手できて、部品を選ぶのが楽になるという。

図1●Σ-E(シグマ・イー)システム開発の当初の狙いと効果。部情報データベース開発がSCM改革に発展
図1●Σ-E(シグマ・イー)システム開発の当初の狙いと効果。部情報データベース開発がSCM改革に発展
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 だが、私はこれに納得せずに自分たちで何とかこれに代わる仕組みを作れないかと考えた。まず、生産打ち切りにならない部品を選べる状態を達成するには何が必要か、考えた。そして思い至ったのが「旬の部品情報を自分たちで収集して部品情報のデータベースを構築する」ことと、それを実現容易にしようとあらかじめ「部品の集約化・標準化を進めて調達対象の部品数を減らす」ことだった。

 こうした考え方は、今ではさして珍しくないが、取り組んだのは90年代初めである。当時、このような取り組みに本気で取り組んでいたのは、パソコンメーカーくらいだったと記憶している。

 そこで、まずコツコツとコンポネント事業部で調達部品情報を管理していた社員とデータベースの整理から始めた。購買や生産技術、検査などの担当者5人ほどとで、部品の標準化を進めていった。4~5カ月かけて作業を進めていくと、3万5000点を3000点ほどに減らせた。事業部長の私も部品メーカーとの交渉の先頭に立ち、調達先の絞り込みと、調達のボリュームに応じた値引き交渉を進めた。

 この作業をすることで、結果的に品質が安定し、部品のコストも下がっただけでなく、省力化の効果が生まれた。部品情報をグループウエアの「ノーツ」上で蓄積して共有したので、紙で行っていた生産手順書への部品情報の転記などの作業が軽減されたのである。設計の手戻りや設計工数の削減にもつながった。

 部品点数を減らしたことで、個別の部品の情報を深く調べて、登録できるようにもなった。調達担当者は、部品メーカーとの交渉時に、生産打ち切りの可能性を探ってその情報を登録した。さらに、欧州方面をはじめとして、重金属など有害物質情報の規制が厳しくなるのに応じて、社内の環境関連の成分分析結果も集約したので、環境対応の情報も設計者が簡単に確認できるようにした。

 こうして、打ち切りの心配がない“フューチャーベスト”な部品を設計者が手軽に選択できる仕組み「Σ-E(シグマ・イー)システム」が94年ごろから稼働した。まず2機種ほど、このシステムを活用してみたところ、経営トップのほうから「これは全社に展開しろ。必要な機材はすぐに買え」と指示してきた。

図2●1996年に稼働したΣ-Eシステムの高度化はナレッジ関連を中心に今も続いている
図2●1996年に稼働したΣ-Eシステムの高度化はナレッジ関連を中心に今も続いている
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 これらの経験は、「大き過ぎる目標を立てて挫折する」という第2の間違いの答えにも通ずるところがある。これについては次回で詳しく述べたい。

(次号に続く)

遠藤 紘一(えんどう こういち)氏
リコー 取締役副社長執行役員CSO兼全社構造改革担当
 1966年に武蔵工業大学工学部を卒業後、リコーに入社。90年コンポネント事業部長、93年取締役情報システム本部長兼システムユニット事業部長などを経て、2000年に専務取締役。生産、資材購買、情報システム、経営企画、広報、SCM、法務など多くの部門を率いた。2008年4月から現職。日本情報システム・ユーザー協会や経団連情報化部会、経済産業省CIO戦略フォーラムなど、社外でもIT活用に多くの提言を行っている。