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 2009年4月20日,米Sun Microsystemsが米Oracleにより買収されることが明らかになった。買収がオープンソース・ソフトウエア(OSS)に及ぼす影響について,さまざまな観測が出ている。

JavaやMySQLなど多くのOSSがあるSun

 SunはJavaやMySQL,OpenOffice.org,GlassFish,Netbeans,Solaris,Virtual Boxといった多くのオープンソース・ソフトウエアを開発し公開している。

 JavaやSolarisについては,Oracle製品の基盤となっているソフトウエアでもあり,今後も継続して開発やサポートが行われると見られている。しかしWebアプリケーション・サーバーのGlassFishやデータベースのMySQLは,Oracle自身がWebLogic ServerやOracle Databaseといった市場シェアの高い競合製品を持つことから,長期的にはユーザーをOracle製品に誘導する方策がとられるのではないかという観測も根強い。

 その場合,オープンソース・ソフトウエアであり誰でもソースコードを入手して改良できることから,Oracle版と別にコミュニティによるオープンソース・プロジェクト版が作られる可能性すらある。MySQLの共同創業者でありMySQLの父と呼ばれるMichael Widenius氏は,Red HatにとってのFedoraのようなコミュニティ版MySQLプロジェクトを提案している。

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OpenOffice.orgの導入事例が続く

 OpenOffice.orgについては,Oracleがかつてネットワーク・コンピュータという名称のシンクライアント機を手がけるなどデスクトップへの進出を狙っていたこと,データベースでMicrosoftと競合関係にあることなどから従来通り開発が進められていくのではないかという見方が強い。

 2008年は会津若松市や住友電気工業などがOpenOffice.orgの導入を明らかにしたが,2009年も日本でOpenOffice.orgの導入を表明した企業や団体が続いている。またベトナムは,2009年末までに70%の政府機関でFirefoxやOpenOffice.orgなどのオープンソース・ソフトウエア使用を義務付ける政策を開始している。

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オープンから出発しクローズドへと変わっていったSun

 Sunの出発点は,オープンソース的な開発手法にあった。ベンチャー企業だったSunが,IBMやHewlett-Packard(HP)といった大企業を向こうに回してUNIX市場でトップに立つことができた大きな理由のひとつは,Sunが当初カリフォルニア大学で改良されたBSD(Berkley Software Distribution)UNIXを採用したことにある。

 IBMやHPが採用したのはUNIXの開発元米AT&T純正のUNIX Sytem V。これに対してSunが採用したBSDは,大学で多くのプログラマにより改良されていた。UNIXは大学や研究機関では安価にソースコードで配布されており,自由に改良できたためだ。当時オープンソースという言葉は存在しなかったが,BSDはオープンソース的な形で開発されていたと言える。

 Sunの創業者の一人にBSDを作成した中心人物,Bill Joyがいた。System Vに比べ使い勝手のよいBSD UNIXとそれをベースにしたSunOSはソフトウエア開発者に好評をはくした。プロセッサも最初はMotorolaの汎用プロセッサを採用。従来のIBMのような,1社が全てを作る垂直統合システムに対し,このような標準品による水平分業は「オープンシステム」と呼ばれ,IBMがIT産業を支配していた時代を終わらせた。

 しかしSunOSとその後継のSolarisは,Sun内部の技術者だけが開発するクローズドなOSになっていった。性能競争の中で独自のSPARCプロセッサの開発を進めるなど,Sunは,水平分業によるオープンシステムから,プロプライエタリな従来型に変わっていった。この戦略は,当初は成功を収めたものの,プロセッサが莫大な投資を必要とする体力勝負となっていくにつれ,Sunはプロセッサ性能で後れを取っていく。

 オープンを最初の成功体験として持つSunの経営陣は,もちろん,オープンであることが将来のあるべき姿であることを理解していたはずだ。しかし,高収益をあげていた時期に独自アーキテクチャを否定することはできなかった。

 気付いた時には,オープンを徹底した究極の姿であるオープンソースのOS「Linux」が台頭し,最も汎用的なアーキテクチャであるx86プロセッサが市場を支配していた。Sunはオープンソースとオープンアーキテクチャへと全面的に舵を切る。SolarisやJavaをオープンソース化し,AMDと提携しx86アーキテクチャを採用した。しかし,時すでに遅かった。すでに市場支配力を失っていたSunは,最終的にOracleに買収されることとなった。

 Sunは,オープンというテーゼを提示し,育て,そこから逸脱することによって図らずもその正しさを証明したと言える。