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営業秘密の侵害に関する裁判では,原告が営業秘密を特定し,侵害されたことを立証する必要がある。だが,公開の裁判で営業秘密を特定すると,営業秘密が公開されてしまうことになる。こうしたことを防ぐために2004年6月,不正競争防止法が改正された。

 プリント基板製造などで広く利用されている銅箔を製造している米グールド社は1985年に,銅箔製造に関する技術情報を日本の宮越機工が不法に入手・利用したとして,オハイオ州北部東地区連邦地方裁判所に,損害賠償や差し止めなどを求める民事訴訟を起こした

 これに対し宮越機工は,「不法行為による損害賠償債務がないこと」の確認を求めて,東京地方裁判所に訴訟を起した。

 この審理では,グールド社が営業秘密を特定したうえで,この営業秘密を宮越機工が侵害したことを立証する必要があった。しかし,グールド社の営業秘密に関する主張は極めて抽象的だった(図1)。「具体的にどのような点で他社の技術よりも優れており,どこに法的保護に値する財産的価値があるのか」と,裁判所が営業秘密を特定するようグールド社に要求しても,「自社のノウハウを公開の法廷で明らかにすることはできない」という理由で,営業秘密の特定を拒否した。

図1●グールド社の営業秘密についての主張。<br>いずれも抽象的で具体性に欠けていた
図1●グールド社の営業秘密についての主張。
いずれも抽象的で具体性に欠けていた
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 このため東京地方裁判所は,「営業秘密が侵害されたことを主張・立証する意思がグールド社にないことは明らかである」として,宮越機工には不法行為による損害賠償の債務はない,とする判決を下した(東京地方裁判所1993年9月24日判決 判例時報1429号80頁)。

 ITベンダーが他社に営業秘密を侵害された場合,損害賠償請求や差止請求を行うことができる(営業秘密の詳細は第6回参照)。

 では,営業秘密を侵害された企業が裁判を起こした場合,裁判でその企業の営業秘密が公開されてしまう恐れはないのだろうか。今回は,裁判における営業秘密の保護について解説しよう。

営業秘密が公開される

 不正競争防止法によれば,営業秘密とは,(1)企業にとって有用であり(有用性),(2)公には知られておらず(秘密性),(3)秘密として管理している(秘密管理)――という3つの要件を満たす情報のことである。営業秘密を侵害された企業は,「債務不履行」(民法415条)や「不法行為」(民法709条)として損害賠償を請求できるほか,不正競争防止法違反として差止請求を行える。

 しかし,営業秘密を侵害された企業が損害賠償や差し止めを求める民事訴訟では,原告側が営業秘密の内容を特定する必要がある。(1)原告が営業秘密と主張する情報が,有用性,秘密性,秘密管理という3つの要件を満たしているかどうか,(2)被告が保有あるいは使用している情報が原告の営業秘密と同一のものかどうか――の2点を裁判所が判断するためには,営業秘密の特定が不可欠だからである。営業秘密の特定は,裁判で原告が勝った場合の強制執行のためにも必要となる。

 ところが,営業秘密を特定すると,被告に改めて営業秘密を開示することになるばかりではなく,第三者にも営業秘密が公開されることになってしまう。憲法82条により,裁判は公開が原則と定められているからだ。冒頭の事件で,宮越機工が東京地方裁判所に訴訟を起こして以来,6年以上にわたってグールド社が営業秘密の特定を拒んだのも,営業秘密が第三者に公開されるのを嫌ったからである。

法改正で非公開が可能に

 「営業秘密の保護を裁判所に求めると,秘密が公開されてしまう」というのでは,秘密の保持を望む企業は営業秘密に関する訴訟を起こせなくなる。これは,裁判を受ける権利を保障する憲法32条と矛盾する。この矛盾は,「知的財産立国」を目指す日本としては,ぜひとも解決する必要があった。

 そこで,1996年に制定された「新民事訴訟法」では,当事者が申し立てれば,裁判所が第三者による訴訟記録閲覧を禁止できることになった(92条)。

 さらに2004年6月には,不正競争防止法の一部が改正され,営業秘密の裁判に関して,(1)証人尋問,当事者尋問などの公開停止,(2)裁判で営業秘密にアクセスした者に対して,営業秘密を裁判以外の目的で利用したり開示したりすることを禁じる秘密保持命令,(3)秘密保持命令違反に対する罰則(懲役刑,罰金刑またはこれらの併科)といった規定が新設された(図2)。この規定は,不正競争防止法に基づいて差し止めを請求する裁判だけではなく,営業秘密の侵害に対する損害賠償を請求する裁判でも有効である。

図2●裁判で営業秘密を保護するための,不正競争防止法の規定(一部)
図2●裁判で営業秘密を保護するための,不正競争防止法の規定(一部)
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 同時に,特許法や著作権法などの知的財産権法にも同様の規定が盛り込まれた。例えば特許法では,特許権の侵害に関する裁判における秘密保持命令(105条の4),秘密保持命令違反の罰則(200条の2),当事者尋問などの公開停止(105条の7)といった規定を新設した。

 裁判で営業秘密を保護するこうした規定は,欧米諸国では以前から存在していた。2004年の法改正により,営業秘密の保護の点で,日本もようやく欧米諸国と肩を並べられるようになったと言える。

辛島 睦 弁護士
1939年生まれ。61年東京大学法学部卒業。65年弁護士登録。74年から日本アイ・ビー・エムで社内弁護士として勤務。94年から99年まで同社法務・知的所有権担当取締役。99年に森・濱田松本法律事務所に入所。2009年,辛島法律事務所を開設。