PR

 安斎を待ち受けたのは予想通りの苦難の道で、最初の2年は赤字が続いた。当時はセブン-イレブンのオーナーからも「ATMは邪魔だから置きたくない」と設置を拒否されることもしばしばだった。採算ラインと言われたATM1台当たり、1日60~70件の平均利用件数には遠く及ばず、安斎は「自分が採用した仲間をクビにしなければならない夢を何度も見た」という。恐怖感は尋常ではなかった。

 状況が変わったのは2年目の後半だ。先行してATMを置いた静岡県にあるセブン-イレブンのオーナーが「ATMを置いたら来店客数が増えた」と言い出した。セブン-イレブンは毎週本社で開く会議を通し、地方での成功体験がすぐに全国に伝わる仕組みになっている。そこから全国のオーナーにATMの評判が広がり、意識が変わり始めた。

 ある夜、安斎は「全店にATMを設置すれば、潮目が変わるかもしれない。銀行がないような地域にあるセブン-イレブンにこそ、ATMを置く意味があるのではないか」と考えた。それまでは利用頻度が高いと思われるセブン-イレブンにだけ設置する事業計画になっており、まだら模様の状態だった。これでは顧客にとって分かりにくい。

 かねてセブン&アイ会長の鈴木からは、「セブン-イレブンは『面』のネットワークを作り上げて顧客の認知度が増し、価値が生まれた。だから出店はドミナント(地域集中)にこだわる」と説明されてきた。セブン-イレブンはいまだに出店していない県が10以上あるが、一度出店を決めると一気に面を埋めにかかる。安斎は「ATMも同じだ。どこにでもあることに価値がある」と思い直した。そこで3年目の2003年春に、ATMの設置戦略を転換。安斎は全店設置を宣言した。ここがセブン銀行が黒字に向かうターニングポイントになった。

 当然、9600店(当時)全店に設置するには先行投資のリスクが伴う。事業採算よりも顧客の利便性を優先するのは戦略の分かれ目だった。日銀時代に電算情報局長も務めた安斎はATMの全店設置に必要なコスト計算のそろばんを弾き、最終的には「何も恐れることはない」と思い立った。店舗は既にあるので、ATMを置く新たな土地や人手を取得する必要はないからだ。

 結果的に、全店設置の判断がコンビニATMを浸透させ、利用件数を3年目に採算ラインまで引き上げた。その評判が提携金融機関を呼び込む好循環も生んだ。提携交渉は安斎自身が日銀時代の金融人脈を生かし、トップ営業で臨んだ。すると安斎がこだわり続けた「ATMを極める」という姿勢が提携先に評価された。最後発の銀行だからこそ、ATM以外には手を広げず、自己主張できる特徴だけを深掘りする。それが2007年10月に誕生したイオン銀行との違いでもある。イオン銀行は住宅ローンなどで地元の銀行と競合するが、セブン銀行は融資業務には手を出さず、ATM専業を貫く。

旧来の銀行の「常識」は通用しない

 本来ATMを極めるには時間がかかるはずだが、短期間に全店設置できる経験とパワーがセブン-イレブンにはあったため、セブン銀行は7年でここまで成長できた。それがなければ、安斎の目論見も絵に描いた餅に終わっていたはずだ。

 しかも設置後には、1万台を超えるATMの保守体制や、ATMと提携金融機関を安定的に結ぶ強じんな「中継システム」も必要になる。その点もセブン-イレブンが長年、NECグループや野村総合研究所と築き上げた店舗システムや基幹システムの運用ノウハウがあったから、セブン銀行に転用できた。さらにATMは現金の補充・回収も必要だが、そこにもセブン-イレブンの強みである物流システムを応用し、作業の委託先であるALSOKの警備輸送ノウハウと直結させた。セブン銀行のインフラ構築にはセブン-イレブンが成功できたアウトソーシングの活用技術がてんこ盛りなのだ。だから300人足らずの社員数で、1万3000台のATMをノンストップでコントロールできるのである。