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 戦争論といえば西の「クラウセヴィッツ」と東の「孫子」。特に孫子は,日本を含む古今東西の戦争論に多大な影響を与えてきた。現代日本でも孫子を引いて企業経営を説く者は後を絶たないほどだ。孫子に学ぶべきは諜報謀略の機微とリスク・マネジメントの知恵である。今回は諜報謀略を説く『用間篇』を中心に孫子を読んでいきたい。

東京農工大学大学院技術経営研究科教授
松下博宣

 中国の春秋戦国時代に記された兵法書『孫子』について,「孫・呉も之を用いて,天下に敵無し」(『荀子』議兵篇),「孫・呉の書を蔵する者は,家ごとにこれ有り」(『韓非子』五蠧篇)という記述がある。すでに『孫子』は,戦国時代後期に“古典”としてのポジションを確立していた。

 しかし,『孫子』の著者が孫武(そんぶ)なのか孫ビン(そんびん)なのか今ひとつ明らかではない。天野鎮雄によると『孫子』は単一の著者による著作物ではなく,同時代や後代の思想が集約されたものである。いずれにせよ,儒教が中国王朝のイデオロギーに居座っていた間,『孫子』は諸子に分類されて中国知識人からはさほど重視されてこなかった。

 日本人が『孫子』を読み始めたのは古い。『孫子』が日本に伝えられ,最初に実戦に活用されたことを史料で確認できるのは『続日本紀』天平宝字四年(760)の条である。大宰府に左遷されていた吉備真備(きびのまきび)のもとに,『孫子』の兵法を学ぶために下級武官が派遣されたという記録が残っている。

 日本の武将は『孫子』を愛読したとの通説があるが,これは疑わしい。慶長の役(いわゆる朝鮮征伐,韓国では丁酉倭乱(ていゆうわらん)と呼ばれる)で日本側の捕虜となった朝鮮人の姜ハン(かんはん)は著書の『看羊録』で興味深いことを書いている。

「いわゆる将倭なる者は,一人として文字を解する者がいない。彼らが使う文字は,我が国の吏読(万葉がなに似た一種の仮名だが消滅したとされる)に酷似している。武経七書は,人それぞれ所有しているが,半行でさえ通読できる者がいない。彼等は分散して勝手に戦い,それで一時の勝利を快しとして満足することはあっても,兵家の機変について聞いてみると,なにも知らない」

 武経七書とは中国における兵法の代表的古典。『孫子』『呉子』『尉繚子』『六韜』『三略』『司馬法』『李衛公問対』の七つの兵法書を指す。『孫子』が筆頭である。

 朝鮮の身分階級「両班」には文班と武班があり,中国から純粋にコピーした科挙つまり官吏登用試験を受け,合格した者が政府の役人となる。朝鮮半島の常識からすれば,日本の武将は武経七書くらい読めてもよさそうなものだが,最初の半行さえも読めないのだ,と姜ハンは日本の武将の学力の低さをあざわらう。

 子供を殺害された上に日本の捕虜になり,厚遇されながらも日本の知識人に朱子学などを教授することを強制させられた姜ハンは当然,極度に屈折した心持ちで日本人に対応せざるをえなかった。よって姜ハンが書いたことは割り引いて読むべきだろう。

 だが,なにかにつけ日本を非難し,さげすむ記述が多くなるのは分かるとしても,おそらく上記の描写は当たらずといえども遠からずなのだろう。勉強家だった家康でさえ,姜ハンに師事した藤原惺窩(せいか)の助けを得ながら『貞観政要』を読んだくらいなのだ。

西洋で高く評価される孫子

 『孫子』の全貌が西洋世界に本格的に伝搬するのは20世紀に入ってからのことだ。注目すべきは,中国からではなく,日本を経由して伝わったということ。

 1905年にイギリス陸軍大尉カルスロップによって『孫子』が初めて英語に訳されている。カルスロップは日露戦争後に日本の内情を調査・密偵するために来日し,『孫子』に触れ,戦略家を自認する我が意を得たのだ。

 その後『孫子』が西洋の知識人の間で熱心に読まれた背景には,冒頭で述べたクラウセヴィッツ(1780- 1831)の『戦争論』の存在がある。古くは3回に渡ってローマとカルタゴによって繰り返されたポエニ戦争から,近いところでは自らが従軍したナポレオン戦争などを基礎とする『戦争論』は,決定的会戦,敵兵力せん滅,敵国完全打倒をテーゼとして戦争論を展開する。

 クラウセヴィッツが言うように「戦争とは,敵を強制してわれわれの意志を遂行させるために用いられる暴力行為である」ととらえれば,なるほど戦争の本質は暴力の行使であり,敵の戦闘力の粉砕にあることとなる。

 『戦争論』と比べ『孫子』を高く評価したのはイギリスの軍事史家のリデル・ハートだ。『孫子』は直接的な戦闘行為よりも策略・謀略によるリスク・マネジメントを重視するからだ。ここに近代戦における情報戦の重要性を主張するハートが『孫子』を重視する理由がある。

 もちろん孫子が生まれた中国でも『孫子』は軍人,知識人の間では読み継がれている。中国共産党の創立党員であり,中華人民共和国の建国の父とされる毛沢東は,代表的著作『矛盾論』や『持久戦論』を書くに当たって『孫子』を下敷きにしている。日中戦争の最中,コミンテルン(国際的な共産主義組織)や米国寡頭勢力と隠微に通じ,中国国民党を打倒し,日本の圧力を退け,そして国民の支持を得るための諜報謀略を巡らせたことからも,毛沢東が『孫子』から学んだことは決して少なくない。

 筆者が留学していた米国大学の軍事学講座でも『戦争論』と『孫子』は定番メニューとして頻繁に言及され,徹底的に比較されていた。なかでもCIA(Central Intelligence Agency)でリスク・マネジメント業務,インテリジェンス業務にあたっている実務家客員教授の講座が秀逸だ。『戦争論』と『孫子』が外交,戦争,企業経営にどのように活用されたのかを比較検討するのである。

 CIAに関与している時に優れた業績を上げ,任期終了を控えたオフィサーが大学に招聘され,講義をすることが多い。これらのオフィサーは大学にそれとなく工作をほどこし,アカデミック・ポストを得てゆく。自らの影響力をそれとなく誇示するために,“オフレコ”と称して教室でリークされる機密の一端は貴重このうえもない。