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 このコラムで、外国人(特に欧米人)の文化的特色を、どちらかと言うと日本人との相違を奇異なものであるかのようなイメージで論じてしまったのではないかと思えてきました。そこで、少し肯定的な部分を御紹介したうえで、彼らとの接し方を論じてみようと思います。

いつも数人のセールス・マネジャーが取り囲む、1人の中年女性

 数年前、私が米国でのビジネスミーティングに参加したときの話です。会議の休憩や昼食、あるいはディナーの際に、1人の中年女性の周りをいつも数人のセールス・マネジャーが取り囲んで、談笑していることに気づきました。彼女はセールス・マネジャーではなく、一営業担当者なのですが、プレゼンをするためにマネジャー会議に参加していました。

 彼女はお世辞にも美人というわけではありませんし、陽気な性格でもなく、人を引き寄せる要素が私には感じられませんでした。そのため、思い切って現地のマネジャーに、「なぜいつも彼女の周りに人が集まっているのですか?」と聞いてみました。

 すると、意外な答えが返ってきました。曰く、彼女はごく最近夫を亡くし、毎日泣き明かしていたそうです。「死にたい」とも漏らすほど憔悴(しょうすい)しきっており、何とか立ち直って会社に出てくるようになったそうなのですが、会社でも夫のことを思い出して涙ぐんだりしていたそうです。そんな彼女を励まそうと、周りのセールス仲間や上司たちが、いつも彼女の周りに集まり、ジョークを言っては笑わせたり、彼女の成果を褒めてあげたりしていたというわけです。

 その話を聞いてから私は、大勢の大男たちに囲まれてニコニコ笑う小さな彼女の姿と、懸命に彼女を励まそうとする仲間や上司の姿を見て、不覚にも涙を流しました。

 これは日本人にはできないことだと思います。日本人なら「そっとしておいてあげよう」と考えるのではないでしょうか? 私は初めて日本人にはない彼らの素晴らしい所を発見した気がしました。

 早速、私もその輪に加わり、日本人の変わった文化やジョークを言って、彼女を楽しませる行為に参加しました。が、このような“チーム(仲間)”という考えは、日本企業ではなかなか馴染まないのではないかと思います。

お父さんが重病で倒れた仲間に、全従業員がかなりの額の金額を差し出す

 もう1つの話をしましょう。私がシンガポール現地法人の代表をしているときに、従業員のお父さんが重病で倒れました。症状はかなり重く、手術するほかに道はないのですが、お金が必要でした。

 彼は、私の部屋に入って来るなり土下座し、泣きながら「私の人生を買ってください」と、会社からお金を出してほしいと懇願しました。残念ながらそのようなことができる仕組みも権限もなかったために、私個人のお金を彼にあげることにしました。残念ながら私個人が差し出すことのできる金額程度では手術や入院費には足らなかったのですが、全従業員がお金を出し合ったのです。

 驚いたのはその金額です。具体的に金額は申しあげられませんが、当時の私の3分の1~10分の1程度の給与しかもらっていない彼らが、私が出したお金の何倍もの金額を彼に差し出したのです。貸すのではなく差し出したのです。彼らに「なぜそこまでできるの?」と聞きましたが、一言「仲間だから」でした。

 日本で同様の事態が起こったときに、彼らと同様の行動を取る従業員がどれほどいるでしょうか。三十数人という少人数の会社でしたが、全員がこのような行動を取れる彼らの仲間意識には驚かされました。おそらく自分の生活にも影響を与えるだろう金額をも、困っている仲間がいたら差し出すという考え方は、私たち日本人がイメージする“仲間”とは少々次元が違うものであることが分かります。