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(1) 機内の小さな事件から

 内藤耕委員が指摘された様に、あらゆるサービス現場において、サービスを提供する人は顧客が求めていることを理解しようとしている。少なくとも、顧客の要求を理解すべきであるということだけは、多かれ少なかれ、どのような現場においても認識している。

 しかし、その例外ではないかと思うことも身近に存在する。航空会社の経営危機が現在のように明るみに出る以前から各社のサービス品質の差については世間話として様々に耳にされたことだ。先日、私はある海外の空港から8時間程度のフライトで日本に向かった。日本着は午前7時前の予定であったから睡眠を取らねばと思ったその時に、事件は起きた。

 PA(旅客向けアナウンス)がかかり、機長の声で一通りのあいさつに続き、「当機の成田着陸は、22時。あー、20時。えー、ご、午前6時△△分の予定です」と、着陸予定時間を大幅に2度も間違えて口にしたのである。旅客は怪訝(けげん)な顔をし、自分の持つフライトスケジュール表を確認し直す人の姿も見られた。

 しかし、お詫びの言葉もない。添乗員の女性に「パイロットの健康状態は大丈夫ですか?」と聞くと、今度は「日本語が分かりません」というので英語で要求を伝えると、分かりましたと言ってコックピットの方向に歩いて行った。それきり、その後は回答もなく、お詫びの放送もなかった。

 成田行きの便で日本語が通じないようでは私の様に英語を用いて仕事している客でないと必要なサービスは得られない。そして、早朝到着便の、特に仕事を持つ客にとって到着時間は重要な情報である。この2点は、顧客の要求など考えるまでもなく明らかではないか。この小さな事件があってから、筆者は同社のフライトを敬遠するようになった。

(2) 都合学で考えてみよう

 それでも、彼らが実は顧客の要求を考慮する努力をしていることは筆者も知っている。問題は、顧客の都合を俯瞰(ふかん)的に考える余裕がないことにあると考えている。都合とは、意図と意図の実行前後における制約からなる複合体である。これが日本特有の概念であることは、「都合」を和英辞典で調べると次のように様々な単語で訳されており、つまり丁度該当する英単語が無いということから分かる。

都合: circumstances; convenience; (an) opportunity; reason; arrangement(s);…

 都合という言葉は日本語でいえば、「きょう、ちょっと都合で行けなくなりました」の様にほとんど情報のない修辞として用いられたり、「都合により機長は、到着時刻を間違えてしまいました」のように様々な背景事情のうち一部だけ垣間見せる表現をとるために用いられたりする。一般に1つの都合は、次の3つの要素の組で表すことができる。

[意図]
達成しようとする目標と、それに至る行動のおおざっぱなシナリオ。以下に示す図でいえば、例えば機長の意図は安全に乗客を移動させることに限定されていたかも知れない。これ自体に罪はないが、意識の持ち方として適切であったかどうかはこれだけで判じられない。

[前提制約]
意図の実現を阻害する可能性のある制約。意図実現のために満たさなければならない条件と、その条件を阻害する状態からなる。図の機長の意図は、自動操縦装置の状態や忙しさによって制約される。もっとも、これらの制約に本人が気づいているかどうかは別問題である。

[派生制約]
意図の実行により生まれる、(他人または本人の)ほかの意図の実行を阻害する制約。ある都合の派生制約が、ほかの都合の前提制約になることもある。機長の意図をそのまま実行してしまうと、アナウンスが不正確となり、乗客は成田到着後の計画を心配してしまうという派生制約を及ぼしてしまう。乗客からすれば、自分の意図を達成するための前提制約が充足できないことになる。

実際に人が発現する都合には、上記にある3つの組のうち一部しか表現されない、あるいはそもそも意識さえされないことが多い。そして、この表現と意識の不完全さのせいで後から齟齬(そご)や不信感が生まれ、チームワークであれば手戻りや人間関係の崩壊の原因となってゆく。筆者の場合は航空会社への不信感のせいで、いずれ使うつもりもないマイレージカードを手放したのである。

図●都合学の基礎は「都合のネットワーク」
図●都合学の基礎は「都合のネットワーク」
機長の周りにあったはずの、都合のネットワーク
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