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 決しておもねず、決して妥協せず--。誰にもおもねることのない一人のエンジニア。決して人嫌いではないが、テクノロジがもたらす価値を社会に還元するために、常に最善を尽くす。その姿勢が時に反発を招いても。そんなエンジニアとしての生き方を貫く主人公「渡瀬浩市」。渡瀬と、その秘書になる私「高杉伊都子」の再会は、1本の電話からだった。

「高杉さん、君も売れない小説を書いて生活していくのは大変だろう。渡瀬君が秘書を募集しているんだが、君を推薦しておいたよ。一度、渡瀬君と会ってみないか?」

 聞き慣れた、だみ声が携帯電話から響いた。藤堂経営コンサルの藤堂信介社長からの電話である。

 「売れない小説って、失礼な!」と私は思ったが、それは藤堂社長特有の思いやりであることは8年間の秘書生活で分かっていた。それ以上に「渡瀬」という名前が懐かしくもあり、同時に脅威でもあった。

 明らかに渡瀬は今まで私が出会ったエンジニアとは違っていた。ゲーテを好むだけではなく、明治の文豪が白紙の原稿用紙に小説を書いていくように、まだコンピュータが身近になる前の1980年代に、システムの全体像を白紙から描ける人間であった。

 1983年、27歳だった渡瀬は当時としてはまだ珍しい「渡瀬コード」を作っていた。

 計量国文学という分野がある。古典から現代文まで、その文体を計量的に分析し研究する分野である。渡瀬は大学教授に依頼されて、「源氏物語」の自動単語分割のために漢字変換コードを作っていた。それが渡瀬コードである。

 しかも計量国文学のための漢字変換コードを作成したほどであるから、渡瀬は古典から現代文学まで、また西洋・東洋を問わず、歴史から民俗学にまで造詣が深かった。瀟酒な3階建ての研究所では、蔵書が各階に収納され、まるで図書館のようでもあった。

「渡瀬様って、あの元日本オラベル統括本部長の渡瀬浩市様ですよね。日本ファイブマイクロのSEの方を『システムエンジニアではなく、サービスエンジニアなのかね』とおっしゃった」

 渡瀬のその言葉はそれ以来、日本ファイブマイクロとオラベルで語り草になっていた。

「よく覚えているね。渡瀬君はエンジニアとしてのプライドが高いから、何でもハイハイと客に迎合するSEを許せなかったんだよ。渡瀬君に怒鳴られたSEの焦った顔を思い出すよ。青ざめて、全身震えていたもんな。ワッハッハ!」

 ワッハッハと、だみ声で笑う藤堂社長は渡瀬の武勇伝を語るが、要するに渡瀬は 歯に衣を着せず、特にSEは相手がどんな大企業に属していてもひるまず、レベルが低いと知ったら、とことんけなすか、またはそんな相手とは口も利きたくなくなる性格であった。

 渡瀬様って気難しい方だわ。藤堂経営コンサルでその場面を目の当たりにして以来、私は渡瀬という人物の機嫌を損ねないように神経を使うようにしてきた。

「その渡瀬君が独立して、データベースのエンジンを研究してるんだが、高杉さんも知っているように研究以外は不器用な男でね。以前から気が利く秘書を探していたところ、君に白羽の矢が向けられたんだよ。もちろん、高杉さんは僕の秘書として実に良く働いてくれた。優秀な秘書だから僕から高杉さんを推薦したんだ」