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 決しておもねず、決して妥協せず--。誰にもおもねることのない一人のエンジニア。決して人嫌いではないが、テクノロジがもたらす価値を社会に還元するために、常に最善を尽くす。その姿勢が時に反発を招いても。そんなエンジニアとしての生き方を貫く主人公「渡瀬浩市」と、その秘書となる「高杉伊都子」は、ともに東京都文京区に住んでいた。

 渡瀬の秘書は時間に拘束されないメールだけの秘書だった。これはまったくの偶然だが、渡瀬の自宅兼研究所は同じ文京区にあり、私が住むマンションから歩いて20分ほどの距離だった。

 藤堂社長から教えてもらった渡瀬研究所のメールアドレスにメールを送ると「明日、午後3時に白山商店街の喫茶店『コンドル』でお待ちしています」と渡瀬から短い返信がきた。

 コンドルの焦げ茶色の木製の扉を開けると、マスターが入れるコーヒーの香ばしい香りが店内に漂っていた。 奥の4人がけのボックス席に渡瀬はすでに腰掛けていた。

「お待たせしてすみません。お久しぶりです」

 渡瀬とは3年ぶりの再会であった。

「こちらこそ、お久しぶりです」

 懐かしい007のショーン・コネリーに似た低音が私を迎えた。

 渡瀬は藤堂経営コンサルタントの会議室で会った頃のように、背筋をピンと伸ばして丁寧に会釈をした。凛とした武士のイメージは変わらなかった。

 春物のベージュのジャケットとベージュのスラックスに身をつつんだ渡瀬は、53歳のわりには童顔で、白髪まじりの頭髪を黒く染めればまだ40歳には充分見えた。ボタンダウンの青いチェックの綿シャツをきちんと第一ボタンまで止めている。

「ここのブルーマウンテンは美味しいですよ。いかがですか?」 

「はい、いただきます」

 渡瀬はカウンターの奥でグラスを拭いていたマスターに向かって、「いつものを二つ」とだけ言った。それだけで常連であることが伝わった。

「藤堂社長から聞いてびっくりしました。オラベルシステムズを退職されたそうですね」

「佐々木社長以下、凄い引き止めでしたが、やっと辞めることができました。オラベルでは仕方なく、コアテクの統括責任者になりました。日本オラベル史上最大の部隊、テクニカルオペレーショングループに成長させ、約10部門60人のコアテク技術者をマネジメントしたのです。その成功により、佐々木社長からは昇格の話をいただきましたが、私はどうしても一エンジニアとしてデータベースの研究をしたかったので、お断りしたのです」

 そこへ黒いエプロンをしたマスターがブルーマウンテンを運んできた。

「ありがとう」

 渡瀬は軽くマスターに微笑み返した。そして相変わらず背筋をピンと伸ばしながら、一口、ブルーマウンテンを飲んだ。

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