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 国難。大地震や原子力発電所(原発)の事故を受け、この言葉が頻繁に用いられるようになった。こんな状況の中、東北地方のみならず、関東地方の学校でも卒業式が見送られることが多くなっている。そこで今回は、新しく社会に出る卒業生へ贈る一文をしたためる。

東京農工大学大学院技術経営研究科教授
松下博宣

 今回の災害で甚大な災害に遭われた方々に心よりお見舞い申し上げるとともに、犠牲になられた方々、ご遺族の方々に深くお悔やみを申し上げる。そして時々刻々、粉骨砕身、救援活動に関わっている多くの自衛隊、警察、海上保安庁、医療・看護関係者の方々、福島原発で事故対応にあたっている関連の諸官、東京電力と関連/協力会社、命を賭して復旧作業に当たっている作業者、エンジニアの方々に心からの敬意を表し、一人でも多くの方の命が救われることを祈っている。

 そんな中、筆者が勤務する技術経営大学院の修了式が中止になってしまった。今回は、誠に勝手ながら卒業生へ贈る言葉と代えさせていただきたい。技術経営という特殊な分野の卒業生のみならず、技術、リスクマネジメント、インテリジェンス、生命、産業に関わっている方々に、いくばくかの示唆があれば幸いだ。

技術と社会を問い直す

 技術と社会の関係を学んでこれから世に出て活躍する若者にとって、今ほどふさわしい時はないだろう。

 現代科学技術文明の精華を集積したと喧伝され続けていた原子力発電技術を、日本社会は効果的にマネジメントしてきたのであろうか。否。東京電力福島原発の惨状に我々が見ているのは、技術経営が少なくとも原子力発電、社会の電力インフラ運営という領域において、重篤な機能不全に陥った姿である。

 そして、医療サービス、医療技術も被災地をカバーしていない。社会が社会として健全さを保つための健康・医療サービスが寸断されてしまっている。平常時の「医療崩壊」に加え、今回の一連の巨大地震、津波、原発事故で最も重要な社会的サービスである健康・医療サービスが真の崩壊の瀬戸際にある。

 技術をイノベーションの一つの有効なテコとして、一企業の利益追求のみならず、広く公益のため役に立てるという技術経営の理想はどこに行ってしまったのか。しかしながら、阿鼻叫喚のなかでも理想を忘れてはなるまい。今ほど、この理想を再確認するにふさわしい時はないだろう。

リスクマネジメントを問い直す

 リスクマネジメントを学んでこれから世に出て活躍する若者にとって、今ほどふさわしい時はないだろう。

 巨大地震、巨大津波、そして原発事故。リスクマネジメントを学ぶ我々にとって、眼前に拡がる風景を前にして無力感さえ禁じえない。リスクを組織的にマネジメントし、危害の発生原因を特定し、損失・損害を回避・減少させるプロセスがリスクマネジメントであり、イノベーションの推進と表裏一体のものだ。

 今回の地震、津波の破壊的影響力を目の前にして、「想定を超える規模だった」という言辞を用いることは空しいだけだ。想定を超えたから甚大な被害をうまく防げなかった、と言ったその瞬間にリスクマネジメントの敗北宣言がなされるのである。真のリスクは、過去のパターンの延長線上に現在と未来があると素朴に信じ、「想定」に呪縛される我々にあるのではないか。今という時ほど、この自問自答を再び始めるにふさわしい時はないだろう。

インテリジェンスを問い直す

 インテリジェンスを学んでこれから世に出て活躍する若者にとって、今ほどふさわしい時はないだろう。

 多くの被災者の方々は口を揃えて「情報の必要性」を訴えている。人間社会を成り立たせている一つの本質は情報・知識だ。危機的な状況にあるほど、社会は活発に情報・知識を交換、共有して対応しようとする。だから必然的に為政者は、メディアを駆使することよってそれらを意図的にコントロールしようとする。

 政府関連機関によって各地で測定・公表される放射能レベル、健康に影響する線量などを上記の文脈に乗せて、為政者の陰謀論をぶち上げることはたやすい。もし、そのようなことがあれば、いずれ為政者の利害から独立した機関やWikiLeaksなどによって情報の非対称性は崩されるだろう。東京電力経営陣の、そして、それらを取り巻く産学官共同体の事実隠蔽・癒着構造も白日のもとに晒され、厳しく問われることになるだろう。

 インテリジェンスの中核的なテーゼの一つは、「何を信じ、何を疑うか」だ。当事者が信じ、疑い、各自の価値基準によってふるいにかけられた情報・知識によって惹起される行動が問われるのだ。

 秋葉原に走ってガイガーカウンターをそそくさと買い込む。遠方や海外に回避、逃避する。それらの行動が生存権の行使なのか、あるいは愚行権の行使なのかは、当事者のインテリジェンスの程度によるのだ。

 われわれのインテリジェンスレベルはいかほどのものなのか。今という時ほど、この自問自答を再び始めるにふさわしい時はないだろう。