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村上氏写真

村上 智彦(むらかみ・ともひこ)

 1961年、北海道歌登村(現・枝幸町)生まれ。金沢医科大学卒業後、自治医大に入局。2000年、旧・瀬棚町(北海道)の町立診療所の所長に就任。夕張市立総合病院の閉鎖に伴い、07年4月、医療法人財団「夕張希望の杜」を設立し理事長に就任同時に、財団が運営する夕張医療センターのセンター長に就任。近著書に『村上スキーム』。
 このコラムは、無料メールマガジン「夕張市立総合病院を引き継いだ『夕張希望の杜』の毎日」の連載コラム「村上智彦が書く、今日の夕張希望の杜」を1カ月分まとめて転載したものです(それぞれの日付はメールマガジンの配信日です)。運営コストを除いた広告掲載料が「夕張希望の杜」に寄付されます。

2011年2月7日(最期の時)

 先日、札幌の病院からある患者さんが紹介されてきました。元々ここへ通院していたのですが、骨折で札幌の病院に入院して、入院中に肺炎を発症して、さらに脳卒中になってしまったという、かわいそうな経過でした。

 高齢者は入院して安静にしているだけでも、体が弱り、肺炎や認知症の進行といったことが起こりやすくなります。その後状態が悪化して食事も食べられなくなり、もうこれ以上回復は望めない状態と判断されたようです。高齢者の場合、癌(がん)でなくても末期の状態というのが起こってきます。

 食べることが大好きで、夕張の自宅が大好きでご家族も自宅へ帰ることを希望して、病院からとても丁寧な紹介状を頂きました。要するに最期の看取りの依頼です。やっとこのような依頼が来て、受けられるようになったのだと思います。

 早速、その日のうちに24時間体制で医師と看護師がケアして、酸素を使えるように手続きをして、少しでも元気が出たら歯科医にお願いして口腔ケアをして食事を食べられるようにしていくといった計画を立てました。

 実は、私はほとんど何もしていません。すべて在宅をやってくれている永森先生や横田副所長、訪問看護のスタッフが動き、半日ほどですべての手続きをしてしまいました。そのこともとても大切で、限られた大切な時間ですから、現場の判断で急いでやっていかなければなりません。

 多くの場合、病院より自宅の方が本人のストレスも少なく、元気になるケースが多いと思います。そんなことに期待しながら、ご家族と一緒に本人が良い時間を過ごせるようにしていくのが、高齢化社会における支える医療の一番の目的です。おそらくこれからもこのようなケースは増えてくるのだと思います。

 寿命と戦っても勝ち目はないですし、そのために大切な時間を医療機関で過ごすことは、必ずしも本人の望んでいることではありません。「安心」という言葉は、場合によっては本人ではなく、家族や医療機関のためのものになってしまいます。

 従来の戦う医療のイメージは、勝ち目の薄い戦場に患者さんを連れ出して、丸腰のまま放り出して周囲の家族や医療スタッフが壁の向こうで応援しながら見ているようなイメージがあります。支える医療というのは、どちらかというと、厳しい戦場には高齢者は出さないで、皆で手伝って後方に連れて行くような感じです。戦うことも必要なのですが、全員が同じように戦うと、余計な犠牲が出てしまうように思えます。

 いずれにしても、限られた資源を有効に使う必要がありますが、それが必ずしも医療機関である必要性はないし、今まで頑張ったのだからせめて必要以上に負担をかけないで過ごさせてあげたいものです。

 多分、従来のやり方では経済的にもかなりの負担になりますし、それを背負うのは次の世代の人達です。死を敗北と捉えるとこのような考えにはならないのですが、死を必然と捉えると、世界一平均寿命の長い日本ではこのような発想で取り組んでもいいのではないでしょうか。少なくとも今までは今回のようなケースの受け皿が無かったのですから、やっとここまで来たように思えます。

 ある統計によると、病院で亡くなる方の割合は北海道が86%と全国1位です。北海道は人口当たりのベッドの数が本州より多い地域ですので、そのような文化なのかもしれませんが、高齢化が進んでいくとそれもできなくなると思います。

 そろそろ頭を切り替えて、昔に戻って選択肢を増やすべきではないでしょうか。そんなことを考えながら、日々夕張の高齢者を支えています。

2011年2月14日(支える医療への転換)

 2月9日から11日まで、私は東京の九段下にあるホテルに泊まり、2月10日に開催された「2011年緊急フォーラム 人が支える社会 絆ゆたかな社会---安心社会は可能か」というシンポジウムに出席していました。

 東京都千代田区神田駿河台にある全電通ホールで約400人の方が足を運んでくださいました。私はシンポジウムで夕張で実践している「支える医療への転換」の話をしました。出演者は、不肖私と

・辻哲夫氏
 東京大学高齢社会総合研究機構教授で、元厚生労働省事務次官として医療制度改革や介護保険制度を作った方でもあります。

・山崎章郎氏
 1990年著作の「病院で死ぬということ」がベストセラーになり、1993年に映画化され、現在ケアタウン小平クリニックを開設して終末期の在宅医療に取り組んでおられます。

 おそらくこの3人がそろってフォーラムをやるということ自体、大変なことだと思います。コーディネーターを務めて下さった日本労働者協同組合連合会理事長の永戸裕三氏の熱意と人脈のおかげです。私にとっては辻先生や山崎先生はとても尊敬している方達なので、お会いできるだけでもとても光栄なことです。とてもミーハーな私は、シンポジウム後に記念写真を撮らせてもらいましたが、お二人とも快く受けてくださいました。

 今回のシンポジウムで自信と新たな知識やアイデアを頂いた気がします。私にとっては、とても幸運な出来事だったと思います。シンポジウムは3時間という長丁場でしたが、出ていた私にとっても、あっという間の出来事でした。

 自分も出演者でしたが、話の内容がとてもリアルで、興味深いことばかりだった気がします。内容は保健・医療・福祉の話だけではなく、政治経済、教育など幅広い分野に及び、現代社会の住民の在り方、哲学、死の考え方、歴史、町創りといった、現状の高齢化社会が抱える問題が非常に複雑な背景を持っていることが理解できます。しかし3人が共通して持っている認識が「現状維持のままでは駄目だし、解決方法はある」という点では一致していたと思います。

 三者三様で背景も年代も違うのに、共通の認識をもって話をしているのが、ある意味奇妙ですが、必然であったようにも思えます。

 私はすでに山崎先生の本を読み、辻先生の著作を読みかなり影響を受けて、それを現場で実践している立場ですので、お二人が高齢化という事実に危機感を持ち、当時としては先進的な考え方を一般社会に問いかけていたことがすごいと思っています。シンポジウムの中で何度か「尊厳」という言葉が使われていました。今まで何となく使ってきたこの言葉を調べてみますと、こんなことが書いてありました。

『個人の尊厳(こじんのそんげん)は、個人の尊重ともいい、すべての個人が人間として有する人格を不可侵のものとし、これを相互に尊重する原理をいう』(ウィキペディア フリー百科事典より)

 我々が現場で使うときには「個人が自分の意思を持ち、その意思が社会の中で反映されてその人らしく過ごせること」といった解釈をしています。今の医療現場ではどうでしょうか。90%の方が住み慣れた地域や家で最期を迎えたいと思っていても、80%の方は医療機関で最期を迎えます。ほとんどの日本人が在宅で亡くなっていたのに、多くの方が病院で亡くなるようになったのは、昭和50年代だそうです。

 残念ながら医療機関は病気を探して治すところで、本来制度も意識も死に場所では無いはずです。しかも高齢化社会では治らない寿命との戦いになってしまいます。ぜひ一度自分がどこでどのように死にたいか考えてみてはいかがでしょうか。そうすると生きることが充実するように思えます。

 今回の講演旅行では初めて東京で雪が降るのを見ました。氷点下10度の夕張から東京へ行くと、暑くて大変でしたが、靖国神社に参拝することもできました。留守番をしてくれた永森先生と森田先生に感謝します。