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2011年2月21日(穏やかな看取り)

 先月のある日、夕張在住の80代の男性が紹介状持参で奥様と2人で受診されました。半年ほど前に食道癌が見つかり、札幌の病院で治療を始めたのだそうです。

 放射線と抗がん剤で治療していますが病院が遠いので心配も多く、こちらで何かあった時のために紹介状を主治医にお願いして書いてもらったのだそうです。とても丁寧な紹介状で、病状や治療経過、トラブル時の対処方法などかなり詳しく書かれていました。

 病気が見つかった時点でかなり病状は進行しており、先月の受診時には声も出せない状態で、食事も口からは摂れず、胃ろうが入っている状態でした。元々耳も遠い方ですが、頭はしっかりしており、自分の病状も理解され、現在の治療方法を選択されたとのことでした。

 早速、訪問看護を入れて、在宅での療養を支えることにしました。その後時々札幌の病院に入院して治療して、帰って来ると看護師が訪問して家で過ごすといった状態が続いていました。

 つい先日の夕方、私が産業医の仕事で診療所に戻ると、「熱を出して調子が悪いので診てほしい」と連絡が入りました。札幌の病院に連絡したところ、「明日入院するように手配するので、今日はお願いします」とのことで、看護師2名がご自宅に向かい、抗生剤の点滴を開始していました。

 雪深い丘の上にあるご自宅へ慌てて向かいましたが、私が着いた時にはすでに意識もなく、下顎呼吸になっていました。痰(たん)を引くと出血しており、かなり危険な状態になっていました。奥様はさかんに声をかけて多少動揺していましたが、すでに病状がかなり進行していることは理解されていたので、「かなり厳しいと思います」と告げると納得されていた様子です。

 病状や経過を考えて、あまり過激な治療や処置はしないで、見守ることにしました。それからほんの10分ほどすると呼吸が時々止まるようになり、薄目を開けてあえぐような浅い呼吸になりました。

 奥様が手を握り「お父さん。54年間ありがとう」と言うと、耳が遠くて聞こえない方なのですが、返事をするかのようにしっかりと瞼(まぶた)を閉じて、まるで眠るように呼吸が止まりました。不謹慎に聞こえるかもしれませんが、まるでテレビを見ているかのようなタイミングで、居合わせた私達もこのような最期はあまり見たことがありません。

 とても悲しい出来事ですが、どこか穏やかな優しい時間だった気がします。

 一緒にいた訪問看護師の小野さんが、患者さんのことをなぜか「先生」と呼んでいたので、「前から知っていたの?」と聞いてみると、なんとこの方は彼女が看護学生だった頃にお世話になった教官だったのだそうです。

 奥様の話ではお酒とたばこが大好きで、仕事人間で面倒見がよかった方だとお聞きしました。

 病気は大変な病気でしたし、食事が摂れず、声も出せないという状態はとてもお辛かったと思います。

 それでも、自分の病状を理解して自分で治療方法を選択して、一生懸命に生きて平均寿命を超えて、奥様にとても感謝されて、偶然ではありますが自分が育てた地元出身の教え子の看護師に看取られて最期を迎えたことは、とても羨ましく思えました。

 在宅医療は従来の「医療者にすべてお任せ」ではなくて、生活のほとんどはご家族が支えます。私達はサポートするだけですので、何となく看取ったご家族はどこか満足感や充実感があるような印象があります。これからも、この地域が好きで、一生懸命に生活している人達を支えていきたいと改めて思います。お疲れさまでした。そしてありがとうございました。

2011年2月28日(広島県府中市での講演)

 2月24日に広島県府中市で講演がありました。地域医療再生講演会という題で、最初に府中市の市長さんが府中市地域医療再生計画の話をして、その後で私が約1時間半、夕張市での地域医療再生について話をしました。1200人くらいの市民の皆さんが集まって下さり、熱心に話を聞いてくださいました。

 府中市は人口が4万3000人くらいで、高齢化率がすでに30%を超え、今後の高齢者対策が必要な街で、病院問題を抱えていて関心が高かったようです。

 正直に言いますと、私は広島と言いますと、尾道や呉、大和ミュージアム、原爆ドーム、牡蠣、広島風お好み焼きは頭に浮かびますが、今回お邪魔した府中市や福山市といった地名や歴史、位置もほとんど知りませんでした。

 現在北海道から広島への直行便がないので、2月23日に仕事が終わってから新千歳空港まで車で走り関西空港まで飛び、関空のホテルに1泊して、翌日に「はるか」で関空駅から新大阪まで移動して、新幹線で福山に着きました。

 講演が夕方からでしたので、福山で鞆の浦をしばし観光しました。ここは瀬戸内海きっての港町で、潮待ち・風待ちの港として栄えて、江戸時代からの街並みや港が残っている所です。あの坂本竜馬も訪れた、「日東第一形勝」の眺めは、歴史の浅い北海道ではとても見られない素晴らしいものでした。

 それから府中市に移動して、「府中焼き」というのをご馳走になりました。かのB級グルメ選手権で優勝したという広島焼きの元祖のようなお好み焼きで、焼きたてのお好み焼きが鉄板の上に運ばれてきて、熱いお好み焼きをこてで切りながら食べるのですが、とてもおいしくて感動でした。

 講演会での市長さんの話の中で盛んに「支える医療」という言葉が出てきました。とてもよく勉強しておられて驚きましたが、今までのやり方では財政的にも、人員の確保でも無理があって、市民の協力を求めながら何とかしていこうとしていました。少なくとも自治体の首長さんや議員さんは、大きな病院を建てようとする傾向にあります。その方が分かりやすいですし、市民にも受けがいいからです。

 医療機関の統廃合や規模の縮小などには触れないで、破綻するまで先送りするのが多くの自治体で起こっていることですが、その点ではとても勇気がある行動だと思います。病院の建設はまさに病院という名の公共工事で、建築したら最期、誰も責任を取らない膨大な赤字に苦しむことは目に見えています。しかもそのつけはすべて次の世代に丸投げにされてしまいます。「命にかかわる」「何かあったら」という言葉で思考停止して、医療に健康を丸投げにしないで、自分達でできることをやり、本来高齢化に必要な福祉を育てなければならないはずです。

 「現状維持」「24時間の救急の充実」といった言葉はよく聞きますが、なぜか「検診の受診率日本一を目指す」「医療費が日本一安くて、住民が長生きな町創り」といった言葉は聞きません。少なくと健康を医療に丸投げにする町に行きたいと思う医師はほとんどいないというのが現実です。

 地域医療は住民が参加しないと充実しないというのが、私の持論です。実際、医療の施設をどんなに充実させても、病人は減りませんし、むしろ増えると思います。講演会場の入り口でビラを配っていた市民の皆さんがいました。「病院の現状維持を!」と盛んに主張していましたが、すでに医師は半減していて、病院も大変な状況だと聞きます。

 これを市長や行政の責任にしているのでしたら、おそらく今後も医師は来ないと思います。ぜひどうしたら来てくれるのかを市民の皆さんと一緒に考えていただきたいと思います。府中市は病院が多数あり、決して医療過疎ではないと私は思います。夕張市と違い行政も説明会などを開いていますし、財政破綻もしていないのですから、かなり恵まれています。

 講演後に市長さん、副市長さん、議長さんとも話をしましたが、とても熱い議論になり、気が付いたら11時を回っていました。講演会にも多くの議員さん達が来て下さっていたのだそうです。正直羨ましく思えました。

 担当した市役所の皆さん、手話通訳の担当の方、そして足を運んでくださった多くの住民の皆様に感謝します。今後はお任せではなくて、多くの住民の皆さんが立ち上がって、地域の医療や福祉を支えて行けることを祈っています。