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 東日本大震災の影響の一つに「自粛」がある。被災者の気持ちや境遇を考えれば騒いで楽しむのはいかがなものかと、花火大会やお祭りの開催が見送られる。個人レベルでも、派手な飲食やレジャーを控える。逆に、行き過ぎた自粛は経済を停滞させ、人々の士気を下げるから逆効果だという意見もある。筆者は個人的には経済活動を停滞させてはならないと考えており、それを「錦の御旗」に東北の酒を例年以上にガンガン飲んでいる。

 しかしそんな筆者も、やはり心のどこかで後ろめたさを感じるときがあり、酒は飲んでも別の何かを自粛すべきではないか、と考えたりしてしまう。筆者に限らず、良くも悪くも日本人は自粛という言葉と行為に弱いのであろう。

 筆者がまだ若手SEだったころのあるケースを紹介しよう。担当していたある企業のシステムで大きな障害が発生した。トラブルの詳細を書くのは差し障りがあるので控えるが、ひと言でいうと、取引先への振り込みデータを誤って処理してしまったのである。本来処理すべき当月データではなく、前月のデータを流し込んでしまった。未入金や金額違い、本来なら振り込まれるはずのない入金が発生するなど、取引先を巻き込んでの大トラブルになった。

 システム障害の原因はオペレーターのミスであった。誤って前月データをセットしてしまっただけでなく、実施すべきチェックをおろそかにしていた。本来、データをセットするときは別の人間が立ち会って確認するルールとなっていたが、いつのまにかそのルールが形骸化していたのである。

 当然のことながら運用チームを中心に、再発防止策が練られた。確認ルールの徹底や改善、システム的にチェックする機能の追加など、二重三重の実効力のある対策が検討・実施された。一方で、あきらかに過剰反応と思われる対策もいくつかあった。

 その中で最も記憶に残っているのが、運用ルーム内の端末が置いてある作業机の拭き掃除の「自粛」であった。毎朝、9時の始業前に運用チームに所属する女性社員が、自主的に雑巾で作業机を拭いていたのだが、「万が一、拭き掃除のときに誤ってEnterキーを押してしまうことを防止する」という名目で自粛となった。机を拭くことは決められた業務ではなく、あくまで女性社員が自主的にやっていたことなので、業務命令による禁止ではなく、自粛という形になったのだ。

 この自粛には当時、強い違和感を持った。始業前であり、端末の画面はほとんどがログイン画面。間違ってキーを押したところで実害はない。また、Enterキーを押したら直ちに重要な処理が実行される状況で席を外していることは常識的に考えられないし、そんな離席は掃除とは別問題である。さらに、障害の原因となったデータの流し込みのような重要な処理は、運用ルームではなく別室のマシンルームの端末を使ってやることになっていた。従って、拭き掃除をしないのは、実効的な意味はまるでない自粛である。

 しかし、誰もその自粛に対して異議を挟まない。逆に、ユーザー企業の担当者だけでなく、筆者の上司であったロジカル思考のSE課長や、冗談が得意な営業課長までもがそろって真顔で「この自粛は当然である」と相づちを打っていた。

 筆者はのど元まで「こんな自粛をして意味あるのですか?」と出かかったが、まわりの空気を読んでその言葉を飲み込んだ。そしてこの拭き掃除の自粛はしばらく続いたが、いつの間にか何の宣言もないまま、再開されていた。

 今でも筆者はこの掃除の自粛は障害対策としては無意味だったと考えている。しかし半面、実際の効果はなくとも、そこまでやることで、関係者全員の障害再発防止という気持ちを一つにするのにはそれなりに意味があったのかな、とも思う。自粛という行為には、常に二面性があるのかもしれない。

永井 昭弘(ながい あきひろ)
1963年東京都出身。イントリーグ代表取締役社長兼CEO、NPO法人全国異業種グループネットワークフォーラム(INF)副理事長。日本IBMの金融担当SEを経て、ベンチャー系ITコンサルのイントリーグに参画、96年社長に就任。多数のIT案件のコーディネーションおよびコンサルティング、RFP作成支援などを手掛ける。著書に「事例で学ぶRFP作成術実践マニュアル」「RFP&提案書完全マニュアル」(日経BP社)