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 技術革新が進めばITエンジニアの仕事はなくなると何かに書いてあったのですが、本当でしょうか?」。ITエンジニアになって日が浅い人や、これからITエンジニアを目指す人からよく受ける質問だ。この質問への筆者なりの回答を書いてみたい。やや回りくどい説明だが、言いたいことは「ITエンジニアの仕事の本質は何か」ということである。

 ある職場を舞台に話を進める。入社したばかりの“使えない”新人のことを、一昔前は「コピーも満足に取れない」と表現していた。これは原稿を台の上に載せてスタートボタンを押す操作ができないという意味では、もちろんない。職場の暗黙のルールを適切に判断できないという意味だ。

 その職場では、経費削減のためモノクロ印刷で裏紙(不要になった印刷資料の裏面)利用が推奨されている。上司が「明日の提案に使う資料をコピーしておいて」と新人に指示したとしよう。“使えない”新人だと、コピー機に設定している状態でコピーし、全てモノクロで裏紙印刷してしまうだろう。だが、他でも普通そうだが、この職場では受注を目指す提案資料にはベストの品質を求め、裏面を使わずカラー印刷にすべきという暗黙のルールがある。このルールを適用しなかった新人は「コピーも満足に取れない」と叱られることになる。

 しかし1カ月もすると新人は進歩する。気の利く新人なら「明日の提案に使う資料をコピーしておいて」と指示されただけで、アポイントメールから打ち合わせ参加者の人数を確認し、顧客の分はカラー印刷、自社の分はモノクロで両面印刷する。ベストの品質は顧客向けの資料のみで十分だと判断し、さらに自社の分は経費削減するという判断の応用ができるのである。

 どのルールを適用してどのルールを適用しないかの判断はとても難しい。先の例でいえば、顧客のほか協力会社が参加するとき、(提案でなく)打ち合わせのとき、社内だが役員が参加するとき、50人以上が参加するとき、など状況によって適用すべきルールは異なる。それらを列挙して網羅することなど不可能である。新人は業務を通じてこうした暗黙知を常識として蓄え、一人前になっていく。

 ここで、新人を「システム」、上司を「システムの利用者」と読み替えてほしい。利用者が求めているのは、システムに備わる「明日の資料の準備」ボタンをクリックするだけで、カラーとモノクロの部数を状況に合わせて判断して印刷する機能だ。必要になる要素機能(「トレイ選択」や「枚数設定」など)の実現は難しくない。

 しかしシステムは、常識を働かせて要素機能を適切に制御することはできない。新人との大きな違いだ。隠れた要件が明確にされ、漏れなくルール化されない限り、システムは“使えない”まま。ここに「ITエンジニアの仕事の本質」がある。

 ITは確かに日進月歩だが、コンピュータにどうしてもできないことがある。それは、常識を働かせ、省略されている(暗黙知の)要件を穴埋めすることだ。人間同様の応用力を持ったコンピュータを目指す「人工知能」と呼ばれる分野があるが、常識を扱えないために実現に至っていない。気の利く新人なら簡単にできる応用が、コンピュータにはできないのである。

 ITエンジニアの仕事の本質は、人間とコンピュータの間のコミュニケーションの媒介だ。コンピュータには何が可能でどう指示すればどのように動くのかを熟知し、利用者が常識と思って明示していない要件を洞察して確認する対話力も併せ持つ。そうしたITエンジニアのニーズは、増えることこそあれ、なくなることはない。ITエンジニアの仕事が不要になるというのは、「気の利くコンピュータがどんな仕事でも人間なしでこなせること」に等しい。心配無用。ITエンジニアの暗黙知との闘いはこれからも続く。

林 浩一(はやし こういち)
ピースミール・テクノロジー株式会社 代表取締役社長。ウルシステムズ ディレクターを兼務。富士ゼロックス、外資系データベースベンダーを経て現職。オブジェクト指向、XMLデータベース、SOA(Service Oriented Architecture)などに知見を持つITアーキテクトとして、企業への革新的IT導入に取り組む。現在、企業や公共機関のシステム発注側支援コンサルティングに注力