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 自ら数度の起業経験を持ち、現在はスタンフォード大学などで教鞭をとるスティーブ・ブランク氏のブログ翻訳版をお届けする。初回は、フィラデルフィア大学の卒業式での講演録をベースにした投稿。これから社会に飛び立つ若者に向け、自らの体験を基に「好奇心を持ち続けて」「まず行動して」と呼びかけた。(ITpro)

 フィラデルフィア大学の卒業式を、皆さんとご一緒に祝うことができ非常に光栄です。私は、スタンフォード大学とカルフォルニア大学バークレー校で教えていますが、実は大学の卒業式に参加したのは今回が初めてです。私の持ち時間の15分間は、皆さんと皆さんの今後の人生に関することなので、居眠りさせないよう、私自身の人生での4個の短い逸話をお話しします。

自らのパッションを見出す

 最初の逸話は、皆さんがご自身のパッション(情熱)を見出すことに関してです。私の両親は移民で、両親とも大学に行きませんでした。私の母は高校を卒業しましたが、父は7年生(中学1年)終了後学校を辞めました。しかし、他の移民の多くと同様、子供が大学に行くことを夢にしておりました。不幸にも、それは両親の夢であって私の夢ではありませんでした。

 私は奨学金をもらったので、ミシガン州立大学に入学することになりました。しかし、学校に入ってみると、私は何も分からないので学業に集中できず、私自身が何者かも分からず、どうして大学にいるのかも全く理解できませんでした。私は大学が大嫌いでした。

 ある日、私のガールフレンドがこう言いました。「あなたも知っていると思うけど、学生の中には、学校にとどまれるように一生懸命になっている人たちがいる。でもあなたは学業には全く関心がないみたい。あなたは、自分が本当に何をしたいのか見つけたらどうなの?」

 私はその瞬間、自分の人生を決めるのは他の人でなく自分自身なのだと気付きました。私は彼女の助言を受け入れ、ミシガン州立大学を1学期で辞めました。極寒のミシガン州の冬、街頭で親指を突き出し、ミシガンから私が一番暖かいところと考えたマイアミまでヒッチハイクしました。

 私はハイウエーの終わりに何があるのか、全く想像もできませんでした。しかしその日、それからの私の人生で今でも継承しているパターンである、「親指を突き出し、その道が導く場所を見る」を実践しました。

 私はマイアミ国際空港で、競走馬を貨物航空機に載せる仕事を何とか見つけることができました。私は馬が好きではありませんでしたが、航空機に興味を持ちました。

 航空機は、それまで私が見たものの中で一番複雑でした。他の少年はパイロットに憧れましたが、私は航空機の操作パネルを担当しているエレクトロニクス技士に畏敬の念を抱きました。私は航空機の操作パネルの修理工場に出入りをして、私ができることを手伝いました。私は何の知識も持っていなかったので、給料はもらいませんでした。

 しかし、すぐにあるエレクトロニクス技士が私の面倒を見てくれ、私にとっては最初のエレクトロニクス、レーダー、ナビゲーションの個人教授をしてくれました。私は夢中になりました。私はすべての機器のマニュアルを家に持ち帰り、夜遅くまで読みました。私は人生で初めて、熱中出来ることを見出しました。

 もし私が学校を退学してなかったら、私のその後の職歴の始まりになったこのパッションを 見つけ出せなかったでしょう。もし私が本当に大好きな何かを見つけていなかったら、私はマイアミ空港でタクシーの運転手でもしていたかもしれません。

 私の人生はこれと同じパターンを踏襲しています。すなわち、私の好奇心を追求し、ボランテイアとして援助し、いろいろなことに参加します。そうすると、私がそのことを大切だと思っていることに他の人が気付き、私はさらに新しいことを学ぶチャンスが与えられます。

 今、皆さんは学費を払って学位を取ったのですから、私の秘密を教えましょう。あなたの好奇心と熱意こそが、あなたが認められる鍵になり、それこそがあなたの人生をすばらしいものにするのです。素晴らしい人生にするのは、あなたの大学での成績ではありません。

 当時私は非常にエキサイトしていましたが、航空機や航空電子への私のパッションが、私をどこにどのように導いてくれるか分かりませんでした。お金もないし、学位もない。どうすればそれらを学べるのでしょうか。その答えはベトナム戦争でした。