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村上氏写真

村上 智彦(むらかみ・ともひこ)

 1961年、北海道歌登村(現・枝幸町)生まれ。金沢医科大学卒業後、自治医大に入局。2000年、旧・瀬棚町(北海道)の町立診療所の所長に就任。夕張市立総合病院の閉鎖に伴い、07年4月、医療法人財団「夕張希望の杜」を設立し理事長に就任同時に、財団が運営する夕張医療センターのセンター長に就任。近著書に『村上スキーム』。
 このコラムは、無料メールマガジン「夕張市立総合病院を引き継いだ『夕張希望の杜』の毎日」の連載コラム「村上智彦が書く、今日の夕張希望の杜」を1カ月分まとめて転載したものです(それぞれの日付はメールマガジンの配信日です)。運営コストを除いた広告掲載料が「夕張希望の杜」に寄付されます。

2011年7月4日(沈みゆく大夕張)

 夕張には私が住む本町のある側の北炭(三井)が開発した地域と、ホテルマウントレースイのある冷水山を挟んだ反対側に、三菱が開発した大夕張地区があります。

 大夕張は夕張市の東部で夕張川の最上流部の河川沿いに形成された炭鉱街で、夕張市鹿島と呼ばれていました。最盛期には約2万人の人口を数え、学校や病院、銀行や映画館等一通りの都市機能を備えていたのだそうです。

 大夕張も夕張市の一部なのですが、なぜか大夕張に住んでいた人達は北炭の開発していた夕張市本町の側を「夕張」と表現していました。逆に本町側の人達は大夕張に足を運ぶことはほとんど無かったと聞きます。

 炭鉱の閉山と共に住民は移転して、街並みが完全に消えてしまい、人が全くいなくなってダムの底に沈む地域と、同じく閉山したのですがその後に観光事業を立ち上げて失敗して、財政破綻していまだに人が住み続けて残っている地域では、住民の意識も、去って行った人達の思いも違うように感じます。

 夕張市の本町地区側に夕張鉄道が存在していたのと同じように、大夕張鉄道が石炭の積み出しのために稼働していましたが、閉山に伴って廃止されました。

 しかし、三菱大夕張鉄道保存会の皆さんが、ほとんどボランティア活動で実際に使われていた客車等の車両をレストアして、維持・管理しながら展示して、北海道遺産に認定されています(詳細はこちら)。

 シューパロ湖には旧森林鉄道の鉄橋である、三弦橋がかかっています。このような形の鉄橋はとても珍しく、周囲の自然と溶け合って美しい風景になっています。夕張の写真を撮り歩いている私にとっても、とても楽しみな場所の一つです。

 2年前くらいにインターネットで大夕張にあった鹿島小学校の卒業生の皆さんと知り合い、毎年学校の跡地でキャンプをしている集まりに誘われて、参加させてもらいました。消えてしまった故郷で皆さんが毎年同窓会を開いているような状態で、同窓生以外にも大夕張を愛する人やご家族も参加して「大夕張ラバーズ」という集まりになっていました。

 大夕張地区の建物はほとんど無くなっていますし、ダム工事の関係で随分地形も変わってきています。今のところ跡地に行くことができますが、ダムを避けるように新しい道路の橋げたも出来上がっていて、今年くらいで立ち入り禁止になっていくのだそうです。

 夕張希望の杜の職員や患者さん、施設の利用者の中にも、大夕張出身の方も案外います。そこで先日、通所リハビリの行事として、大夕張出身の利用者の方2名も誘って、大夕張ラバーズの方と飛び入りで大夕張出身のルーチェ・ソラーレの達郎さんも参加して、大夕張見学ツアーを実施しました。

 わざわざこのために東京から参加された方もいました。利用者の方に子供の頃にお世話になっていたり、共通の友人が居たりと、話に花が咲きとてもにぎやかな時間になりました。

 ある意味、見納めになるかもしれない自分達が住んでいた自宅の跡地、学校、道路、遊んだ広場など、皆さん昔の記憶をたどり、「○○商店がここで、隣が○○さんの家」といった楽しそうな、少し寂しげな会話が続いていました。高齢の利用者の方も随分昔の記憶がよみがえり、良いリハビリになった様子です。お世話になった皆様に感謝いたします。

 夕張と大夕張の皆さんでは随分考え方も生き方も違うように思えます。少なくとも消えていく運命にある人達の方が、潔くて、自分達の生まれた地域に愛着やこだわりが強いように思えます。下手に残ったばかりに、それほどこだわりも無く、何でも人任せで依存しているこちら側の人達よりも私には気持ちがよく理解できます。

 夕張は今まさに夕張メロンのシーズンです。本州とは違い、とても涼しい毎日ですし、私がいつもご飯を食べているルーチェ・ソラーレでも格安で夕張メロンが食べられますし、100%果汁の特製夕張メロンジュース(絶品です!)やたくさん果肉の入ったソフトクリームが食べられます。

 メロンを食べたついでに、おそらく今後は見ることができなくなる大夕張のきれいな三弦橋を、皆さんも是非一度ご覧になってみて下さい。お待ちしております。

2011年7月11日(薬剤師の未来)

 私は薬剤師の出身ですので、今回は少々そのことについて書かせていただきます。

 先週末の土曜日は、新潟県長岡市に講演に行ってきました。第20回応用薬学研究会という薬剤師さんの研究会で講演をさせていただきました。多くの皆様にお越しいただき感謝いたします。

 知らない方のために少々背景を書かせていただきます。実は私が薬学部を出たころは、薬学部というのは就学が4年間だったのですが、現在の薬学部は医学部と同じ6年間大学へ行きます。元々薬学部は習得する単位がかなり多くて、6年分くらいのものを4年間で習得するために、カリキュラムが大変で、それを無理やり詰め込んだような状態で案外忙しかったのを覚えています。

 6年制になって余裕を持って履修できたとしても、問題があります。今までと同じように薬局で調剤だけをやっていたり、薬を売っているだけでは、そのうち薬剤師は余ってきて不要になり、6年制になっても以前と給与は同じといった状態になってしまいます。

 実際に薬剤師の存在というのは、はっきり言って今の状態なら居なくても何とかなる存在です。病院の中でも、たとえ居なくても他の人が代わりをできますし、薬局も無くても命に関わることは少ないですし、中にはたばこの自動販売機を置いている薬局もあるくらいですから、住民の健康にどれくらい貢献しているのか疑問です。

 病院の中では医師の指示待ちで、いざという時には役に立たないで責任も取らない存在で、薬局では医療人というより商売人になってしまいます。せっかく薬理学や栄養学、衛生学(科学から人の健康を考える学問)、環境衛生学、公衆衛生学、放射線医学、薬用植物学、漢方といった地域で住民の健康づくりをするために大切な勉強をしている割には、その知識を健康づくりに生かせてはいません。

 実はアメリカで最も尊敬される職業は薬剤師です。アドバイザーとして人の健康を守り、皆保険制度の無いアメリカでは薬剤師が病状を聞き判断して薬を処方します。アメリカでは病院に行かなくても、ある程度の薬は薬局で購入できます。もちろんこれは患者さんの自己責任がはっきりしているから成り立つ仕組みで、事故があっても選択した自分の責任ということになります。

 これは良し悪しの問題ではなく国民の選択の問題で、「1%でも危険があったらだめ、命に関わるものはだめ」といってすべてをお任せにして、負担は拒否して、何でも人に責任を押し付けて、満足もしていない国とは随分違います。

 夕張では以前から薬剤師に「医療人」となってもらうために、薬局から出て、在宅医療に直接関わってもらったり、施設に行って薬の管理をしてもらったり、あるいは検査業務にも関わってもらい、地域のエビデンス作りの責任者になってもらっています。

 ただ薬を調剤するばかりではなく、在宅といってもただのデリバリーサービスではなく家に入ってもらい、問診をしたり、血圧を測ったり、残薬をチェックして飲み忘れを防止したり、適正な用法・用量に変更して医師に報告するなど責任を持って仕事をしています。予防接種やピロリ菌の除菌など、予防医療についても積極的に関わってもらいます。

 現場での医療人としての薬剤師の役割のノウハウは学生実習を受け入れることで次の世代に伝えるようにしていますし、その実績を活字にして論文や学会発表といった形で蓄積してもらっています。

 現場での実績が無い限り、いつまでも職域が広がることは無いですし、住民に職能が認知されないと思います。大学で机上の空論を語っていても、いつまでも変わらないというのが実情です。今回の学会では実際の夕張での取り組みを報告し、高齢化社会における薬剤師のエンパワーメントについて強調してきました。かなり衝撃的だった様子ですが、ぜひ多くの地域の薬剤師さんに医療人となり地域の健康づくりに関わってもらいたいと思います。

 先週はこれ以外にも画期的な出来事がありました。6月29日にイケメン市長の鈴木君が夕張希望の杜の昼礼に来てくれました。

 破綻後に夕張市立総合病院を全員解雇されて、残って頑張ってきたうちの職員に対してねぎらいの言葉をかけてくれました。夕張に来て初めてのことですし、多くの職員がとても喜んでいました。この4年間、首長や市役所幹部の不作為を押し付けられて、契約外のことでお抱えのマスコミを使って非難され、散々ひどい目に遭ってきましたので、とてもうれしい出来事でした。

 鈴木市長には挨拶のほか、被災地への支援も行っていただいたケアマネージャーさんが本来の職場へ戻る報告もあったので、彼女への花束贈呈までお願いしてしまいました。良い思い出になったと思います。ありがとうございました。

 医療機関の建て替え問題も今までは私達には一切の話も無く、会議も前市長や前総務課長の意向で意図的に締め出されていて、都合の悪いことだけ押し付けられてきましたが、今後は会議に参加してほしいという市長からの要請がありました。確かに本来建て替え問題は契約外で夕張市が考える問題で私達には関係ない話です。むしろ職員は納税者として無駄な公共工事にならないように監視する立場ですので、今後は地域医療の専門家として意見を反映させたいと思います。

 以前の夕張では、建て替えを前提に話が進んでいましたが、これは権限を持ちたい夕張市幹部さん達と利権を求める建築屋さん達のためであって、今後人口がさらに減り、不採算だと分かっている機能を求めている医療機関を本当に建てる必要があるのか、あるいは住民にその負担をする気があるのかといった議論から入るべきだと思います。

 従来のくれくれ市民の意見だけを反映して、お任せで箱物だけ欲しいのなら税金の無駄遣いだと思います。本当にこの4年間は不毛な期間でしたが、無駄にならないためにも今後に期待して、厳しく税金の無駄遣いや不作為を監視していきたいと思います。