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 前回は、民主主義と資本主義の密接な関係、そして両者はともに制度疲労に陥っていることを示唆した。今回はその行く末を考えてみたい。

中国は本当に“非民主的”か?

 世界の先進国は大方が民主主義国家である。唯一の例外は中国だ。そして中国は調子が良い。民主主義と資本主義の行く末を考える上で何かヒントが得られないか。

 中国の民主主義については2つの説がある。一つは民主化不可避説だ。「人民を飢えさせた王朝は滅ぶ。中国共産党も経済成長が止まったら失権する」「だから中国政府は外資を導入して経済成長を目指す。だがやがて教育水準が上がって人民が目覚める。民主主義に移行せざるを得ない」という。

 もうひとつは中国例外説。「中国は巨大。強権なしでまとまらない。民主化運動はしたたかな人民の条件闘争であり、当局もガス抜きと考え適当に泳がせている。共産党独裁は当分続く」というものだ。

 いずれも中国には民主主義がないという前提に立った説だが、果たしてそうか。確かにトウ小平以前、中国は極めて非民主的な国だった。だが1980年代以降は自由化し、経済成長の果実を人民に分配してきた。トウ小平の改革開放路線を米国のリンカーン時代の奴隷解放、日本の戦後改革と同列にとらえれば、中国は時間をかけながら確実に民主化しつつある。

 もちろん政治体制は一党独裁で議会制民主主義ではない。選挙も機能していない。だが前回指摘した通り、民主主義の本質は社会契約説に沿って国民に自分も政治を動かしていると納得させる合意ずくでの“集団麻酔”である。体制側は反体制勢力に選挙権と社会福祉を与えて“ガス抜き”し、代わりに政治の安定と経済成長を確保する。普通選挙や議会や多数決の原理は手段でしかない。民主主義の本質、集団麻酔の源泉は「社会契約」にある。

 ところが中国の民主化過程では、共産党の存在が「社会契約」を代替している。「共産党は人民が作った。共産党は人民を外国勢力から解放した。だから共産党なくして国家なし、人民にも未来なし」という理屈である。日米欧では、これは都合の良いプロパガンダにしか見えない。現に中国共産党の腐敗や不正のニュースは絶えない。

 だが「社会契約」だって嘘くさい。我々は日本国をつくろう、参加しようと契約した覚えはない。日本国が嫌で勝手に独立国を作って納税を拒否したら逮捕される。そして米国では社会主義を礼賛したら、日本では天皇制を執拗(しつよう)に批判したら、社会的制裁を受けかねない。こうして見てくると「中国は非民主的で日米欧は民主的」という私たちの常識も、所詮(しょせん)は相対的な差に過ぎないという気がしてくる。

経済成長のない議会制民主主義は危うい?

 その伝でいうと、「経済成長が止まったら中国共産党は危うい」のと同じく、「経済成長が止まったら社会契約説、議会制民主主義も危うい」のではないか。若者の政治離れや投票率の低下はすでにそれを示唆する。人々の離反を防ぐべく、各国政府は財政赤字を容認してでも社会福祉を拡充する。さらに資本主義の変調にテコ入れすべく、公共投資で借金を拡大する。

 かくして日米欧の民主主義は、各国を財政破綻に向けて追い立てる。我が国の財政危機と政治不信、米国のデフォルト(債務不履行)問題、ギリシャの財政危機、それに対するドイツ国民の無関心は、この意味において同根の現象である。

 戦前、経済運営に行き詰まった日独は、議会制民主主義を放棄して全体主義に移行し、侵略戦争に走った。それに対して今回、先進各国は議会制民主主義を墨守するあまり、財政破綻に走っている。その意味では、実は中国共産党による“民主主義的風”独裁体制の国家運営のほうが安定的だとすら言えないか(対外紛争拡大の危険性はさておき)。

 日米欧には社会契約説に代わる原理がない。人心を一つにするための何か新しい原理を探索しなければならない。中国には現実に人民を植民地から開放して豊かにしてきた共産党があり、イスラム諸国には普遍的なアラーの教えがある。これに匹敵する何か、宗教的な理念、例えば「博愛」「環境」にまつわる理念が必要だ。またそれが浸透するまで当面は、議会制民主主義の失敗を補正する仕組みを実験しなければならない。

上山 信一(うえやま・しんいち)
慶應義塾大学総合政策学部教授
上山信一




慶應義塾大学総合政策学部教授。運輸省、マッキンゼー(共同経営者)等を経て現職。「大阪維新の会」政策顧問、新潟市都市政策研究所長も務める。専門は経営改革、地域経営。2009年2月に『自治体改革の突破口』を発刊。その他、『行政の経営分析―大阪市の挑戦』、『行政の解体と再生』、『大阪維新―橋下改革が日本を変える』など編著書多数。