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 学生の頃に教わった歴史のかなりが役に立たなくなっている。イースター島でも四大文明でもマヤ王国でも、かつて教わった知識は時代遅れとなっている。これは日本の古代史にも当てはまる。といっても、旧石器捏造事件に関わることではない。文化と社会に関わる内容である。

 かつては、縄文人は弥生人に滅ぼされたらしいことが示唆されていた。ダーウィン以来の生存競争思想、なかんずくスペンサーの社会ダーウィン説が発達していけば、劣った文明を進んだ文明が滅ぼし、劣等種族を優秀な種族が淘汰するのが当然で、文明とはかく塗り変わり、新文明が歴史の表舞台に現れると考えられていたのだろう。帝国主義時代のヨーロッパ人たちは、そうして自らの行為を正当化していた。縄文人も縄文文明も、大陸から渡来した先進的な弥生文明に淘汰されたと言われていた。

 それだけではない。縄文時代は狩猟採集時代で、弥生時代になって農業が開始されたとも教わっていた。狩猟採集とは農耕に比べて未開な経済である。現在との連続性は弥生時代からであり、縄文時代とは、そんな先史文明があったというニュアンスであったのだ。現世の日本人は弥生人直系の子孫であり、縄文人とは無関係であると。しかし、ふたを開けてみれば、我々は縄文人の子孫でもあったのだ。縄文人と弥生人、さらに様々な渡来人が混血して、現在の日本人が形成されていったのである。その縄文人が農耕をしていたことも、わかってきた。

 今日明らかになってきたのは、縄文人が弥生人を受け入れ、さらに新規の渡来人を次々に受け入れてきた歴史である。それは先住民族が征服されず、逆に母胎となって外来民族と混じり合い、新しい民族を形成していくという複合的文明形成の歴史でもある。気候変動は、新たな技術をもたらし、それに最も適した地域に根付きながら拡大して、従来の文明の上に積み重なっていく。こうした文明形成と一体化した文化的特質は、日本列島の地理的位置とともに、複雑な日本の地形と、変化に富んだ四季が生み出したようにも思える。もちろん、自然風土が人間性を規定することに対しては、「環境決定論」として否定的な見解が出されることがある。しかし、ある思想が、その社会の特性により生み出され、その社会が自然風土から影響を受けている側面があることは否定できない事実である。文化や社会の背景に、各々の土地の力が働いている。

 こうした知識は、比較的最近得たものである。以前、大阪の国立民族学博物館で環境に関わる共同研究に数年間参画していたことがあり、民俗学や考古学の専門家たちと接する機会を得た。そこで大いに刺激され、長らく「日本の文化的特質」という言葉だけで片付けてきた日本文化の吸収・同化力が、なぜできあがってきたかを勉強しなおしてみたのである。そして佐々木高明氏らの著書を読み、自然と文化形成との複合から今日に至る伝統の源が始まったのだと納得した。日本では、征服者が被征服者を滅ぼす歴史ではなく、先住者と外来者が絶えず混じり合った歴史であった。

 そうすると、実はそうしたことを象徴する遺跡を、小さい頃から眺めていたことに気がついたのである。シャーロック・ホームズではないが「見ていたが、観察していなかった」というわけで、深く疑問に思うこともなく、ただただ眺め、小さい頃からその中で遊んでいた場所が、実はそれそのものを示していたのである。