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 シリコンバレーの重要なカルチャーは“恩返し”だとブランク氏は言う。様々な地域からエンジニアが集まり新しい事業を興すシリコンバレーでは、企業の枠を超えて援助し合うのが当たり前で、先代はメンター(助言者)として若い起業家の卵にそのカルチャーを受け継いでいく。スティーブ・ジョブズ氏の成功の裏には、インテルの創業者であるボブ・ノイス氏の支援があった。(ITpro)

 米国外からシリコンバレーを訪れる人は、私たちが見知らぬ人を助け、結びつけ、ネットワークを作ることに非常に協力的だと言います。私たちはそれが当たり前だと思っているので、口に出したことはありませんが、それは「恩返し」のカルチャーなのです。

私たちは運命を共にした同志---チップが動かない

 1962年、シリコンバレーのマウンテンビュー市にある「ワゴンウイール(幌馬車)」というレストランの昼食時は、フェアチャイルド・セミコンダクターの社員でいっぱいでした。フェアチャイルドから人材がスピンアウトし始めたころ、同社を出た彼らは、信頼のある半導体を確実に製造するには、魔術的ともいえる才能が必要なことに気付きました。手持ちのレシピ(調理法)でチップを製造できることもありましたが、翌週には問題が起こって「動くチップ」が製造できません。シリコンと半導体という小さい世界にいるエンジニアは、ワゴンウイールに集まり、同僚、競合相手を問わず、技術的問題とその解決方法について情報交換をしたのです。

私たちは運命を共にした同志---すべての家庭にコンピュータを

 1975年、シリコンバレーのある地域の同好者が「すべての家庭にコンピュータを」という、当時としては“クレージー”なアイデアで「自家製コンピュータクラブ」を結成し、当初はメンロパークのペニンスラ高校、その後はスタンフォード大学のAI研究所が集会場になりました。

 このクラブのモットーは、「仲間を助けよう」でした。集会は出席者の情報交換から始まり、助言を受けたり、新しい革新技術を討論したりしました。その一つが、アップルの最初のコンピュータでした。このクラブは、このころ台頭したパーソナルコンピュータ業界の中心となりました。

私たちは運命を共にした同志---同胞を助け合おう

 1980年代まで、中国とインドから来て大規模なテクノロジー会社で働くエンジニアは、「彼らは優れた技術者だが、CEOにはなれない」という、見えない壁に突き当たっていました。そこで自らビジネスを起こす可能性を求めて、多くのエンジニアは働いていた会社を辞め、自分たちでスタートアップを創業しました。同時に彼らは、同胞中心のTIE(The Indus Entrepreneur)や、Chinese Software Professionals Associationを創立し、シリコンバレーの仕組みや、就職や投資の機会などについて情報交換を始めました。その後20年にわたり、ロシア人、イスラエル人なども同胞中心のネットワーキングを始めました。