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 先日、ある新システムの本番移行作業に立ち会うことになった。最近は移行作業に関しては部下に任せることがほとんどで、筆者にとっては久しぶりの移行の「現場」であった。現場を直接見ることは、経営者や管理職、ベテランと呼ばれる年齢になっても必要なことである。特にシステム構築の最後に迎える本番移行は、どんなに用意周到に計画していても予期しないことが多々発生するものだ。限られた時間の中で、計画の遂行と発生した問題の両方に対処していかなければならない。そんな本番移行の現場特有の現象について紹介しよう。

 今回の移行作業は週末を利用して、金土の2日間で終了するように計画し、日曜日は予備日としていた。当初、作業は思いのほか順調に進み、土曜日の午前中までは予定よりも進捗が早いくらいであった。計画そのものはかなり綿密で、作業の区切りごとにチェックポイントを設け、その都度若干のバッファ時間を取っていたので、今回は予定通りにいくかなと思ったほどだ。

 ところが、最新のデータをリストアしてデータ移行の確認を始めると、問題がいくつか露呈した。一つ問題が見つかると、また一つ、もう一つと次々と見つかってくる。結局、土曜日の夜遅くまでかかって終わらなかったので、予備日の日曜日を使うことになった。

 翌日は、朝早くから作業に当たった。休憩時間にあるベテランのエンジニアが「いやー、昨日何をやったのか全く思い出せないな。もうトシかな」とつぶやいたのを聞いて、筆者は強い印象を受けた。筆者も過去の記憶をたどって、移行時の経験を振り返ってみた。すると、土日作業で終わらずに月曜の朝方までやったこと、あるときは仕切り直しになって1週間後にやり直したことなど、とにかく大変でキツかったことは記憶しているが、どんな問題が起きたのか、それにどう対処したのかといったことは思い出せない。

 ほかの体験は鮮明に記憶していることが多いのに、なぜ移行に関しては覚えていないのか。

 移行時の計画された作業は、比較的単純な作業が多い。データのバックアップやリストア、ソフトウエアのインストールといった作業だ。ところがひとたび想定外の問題が発生すれば、カットオーバーの刻限が迫る中、即座に原因を究明して対応しなければならない。その緊迫した状況でトラブルに対処すると、ものすごい集中力が発揮されることがある。通常であれば数日考えるような問題でも、火事場のばか力で短時間で対処できてしまう。

 問題が次々と発生してそんな状態が続くと、緊張感と集中力のスタミナの限界を超えて、記憶を奪ってしまうのではないだろうか。

 それとは全く逆のこともある。問題が起こると移行チームで対応を検討するが、やることが決まると1~2人のエンジニアがそれに取り組み、残りの人間は作業が終わるまで「待ち」の状態になることが多い。この待ち時間も独特の感覚である。いつ終わるのか分からないし、緊迫した状況なので本を読んだり話をしたりという気分ではない。手持ちぶさたで黙ってじっと待つことになる。普段であれば何もせずにただ座っているのはすぐに飽きてしまうが、なぜかこの移行の対応待ちのときだけは長時間座っていられるのである。ただしこの待ち時間は、記憶に残るようなことは何もしていない。

 移行作業時にはこの二つの正反対の状況が発生するために、振り返ると何も覚えていないことが多いのではないか。移行に関してはプロジェクト管理の観点からも、あるいは行動学や脳科学の視点からも研究すべきことが多いのではないか。移行の科学的分析にIT業界として取り組むべきではないか。

 そんなことを、待ち時間にとりとめなく考えていた(これは覚えている)。ちなみに今回立ち会った移行は、日曜日の夕方までかかって無事終了した。

永井 昭弘(ながい あきひろ)
1963年東京都出身。イントリーグ代表取締役社長兼CEO、NPO法人全国異業種グループネットワークフォーラム(INF)副理事長。日本IBMの金融担当SEを経て、ベンチャー系ITコンサルのイントリーグに参画、96年社長に就任。多数のIT案件のコーディネーションおよびコンサルティング、RFP作成支援などを手掛ける。著書に「事例で学ぶRFP作成術実践マニュアル」「RFP&提案書完全マニュアル」(日経BP社)、