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 基本的にIT業界は成果主義、能力主義の世界である。例えばITの世界では、天才的なエンジニアや経験豊富なプロジェクト・マネージャが常人の10倍以上のパフォーマンスを発揮することは珍しくない。国境を超えてすさまじいスピードで競争が行われているIT業界では、彼らが能力を最大限発揮できる仕組みが必要である。そしてそれを阻害するような保護政策や規制はこの業界に合わないと筆者は考えている。IT業界で働く人間が、それぞれ人間としてのモラルを忘れなければ、成果主義、能力主義の弊害も防げるはずである。

 しかし、しばしばそのモラルを失ってしまうのもまた人間だ。若手SEのA君の経験談を聞き、考えさせられた。

 A君は派遣SEとしてX社に常駐することになった。X社は大手消費財メーカーで、徹底した能力主義により急成長し、その名は世間に広く知られていた。X社のシステム部長は30代前半と若く、A君といくつも違わない。大抜擢を受けた切れ者との評判だ。システム部は数人のX社プロパーと派遣SEが7、8人といった構成であった。

 「この会社の規模にしては、システム部の人数は少ないな」とA君は感じた。その理由はすぐに判明した。あるとき突然、プロパーの1人がある派遣SEを猛烈な勢いで罵倒し始めた。何かのミスを怒っているのだが、口にする言葉が尋常ではない。まるでチンピラのせりふだ。SEは顔を真っ赤にして黙って耐えている。ほかのメンバーは「またか」という様子で、驚いているのは新参のA君だけだった。

 怒られたSEは翌日無断欠勤し、数日後に退職してしまった。するとすぐに別のSEが派遣として来た。その翌週、別のSEが退職。つまり人が定着せず、入っては辞めの繰り返しである。A君もささいなことでプロパーやほかのSEに怒鳴られたり、嫌味を言われたりするようになった。それまで経験したことのないギスギスした職場に、嫌気が差した。しかし、急成長している会社だけあって報酬はよい。A君は生活のためと割り切って頑張ることにした。

 この状況の元凶はシステム部長であった。能力主義で抜擢されただけに部下に対しても成果を厳しく求め、それが達成されないと容赦なく叱責する。能力のある者を徹底的に使い、できない者はすぐに切り捨てる。部下のプロパーは部長のまねをして派遣SEに対して同様の態度を取る。当然、このような職場環境ではパフォーマンスは上がらない。そこでまた部長は部下を叱り飛ばし、部下は派遣SEに当たり散らす。典型的な悪循環である。

 その後A君は数カ月間辛抱して働いたが、ストレスからくる不眠に悩まされた。もう限界で退職しようかと思ったときに、その事件は起こった。

 ある日の夕方、またいつものようにプロパーがあるSEにささいなことでネチネチと注意をしていると、SEが「うおー」と叫び声を上げてプロパーに殴りかかり、さらにカッターナイフを振り回したのだ。ナイフの刃がプロパーの腕をかすり、血が出た。それを見てSEの動きが止まり、ようやく周囲が彼を押さえた。プロパーは幸い軽傷であったが、職場での「刃傷ざた」はあっという間に社内に知れわたり、部長は降格処分でなんと一気にヒラに、プロパーは退職、SEは契約解除という顛末となった。

 これは極端な事例であるが、何かのはずみで能力主義が誤って解釈され、行き過ぎてしまう危険というのはどこにでもある。逆説的かもしれないが、人を尊重することが能力主義の第一歩ではないだろうか。

永井 昭弘(ながい あきひろ)
1963年東京都出身。イントリーグ代表取締役社長兼CEO、NPO法人全国異業種グループネットワークフォーラム(INF)副理事長。日本IBMの金融担当SEを経て、ベンチャー系ITコンサルのイントリーグに参画、96年社長に就任。多数のIT案件のコーディネーションおよびコンサルティング、RFP作成支援などを手掛ける。著書に「事例で学ぶRFP作成術実践マニュアル」「RFP&提案書完全マニュアル」(日経BP社)、