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 温暖化について、学生から質問されることが多い。議論が絶えない問題だから、質問も多岐にわたる。比較的多いのが二酸化炭素排出の是非についてと、原子力発電の是非についてである。なにしろ二酸化炭素こそが地球温暖化の悪の根源であり、二酸化炭素を排出しない原子力発電はクリーンだと宣伝されてきたのだから、二酸化炭素無罪論と原発事故とは、従来信じてきたことへのダブルパンチとなり、何を信じて良いのかわからなくなるのだろう。この問題についての自分の立場は、この20年近く明確だ。「大規模発電と地下資源利用に反対」。小規模単位での自然エネルギー直接利用、そしてエコシステム型社会の構築である。

 といっても、原発や火力発電を全廃できるとは思っていないし、一部は残しておく必要もあると考えている。しかし、今、原発や火力発電を推進するのは、愚の骨頂であると思うのだ。この比喩は、暑い夏ならばわかりやすいだろう。「地球が熱くなっているのに燃料を燃やしていても仕方がない。燃料は冬に燃やしてこそ生きてくる」。これには学生たちも結構納得してくれるようである。いつか来る冬(氷河期)に備えて、地下資源はとっておくべきだ。資源の保有国のためにではなく、地球全体の人類のための備えである。

 このように、地球全体の資源を捉えて、自然までをも加味した経済学を考えるならば、目先の損得以上に、地球そのもののエネルギー収支を考えることが必要になる。従来の経済学は、金銭的損得を基準とし、外側の問題には触れなかった。そのために自然環境への配慮が新しい経済学への試みを呼び起こしたのであるが、単なる環境経済学ではなく、こうしたエネルギー収支の視点までをも含んだ経済学の可能性を歴史的に解説したのが、ホワン・マルチネス・アリエである。

 表面的なレベルでの対応を考えているものも含めて、環境経済と呼ばれるものは各種あるが、エネルギーを作り上げることから出発し、エネルギーフローを考える経済学のみが、真の「エコロジー経済学」と言えるだろう。マルチネス・アリエの述べるエネルギー収支の考え方は興味深い。例えば収穫高の一部が保存されれば小麦は翌年も生産できるが、石油が1バレル消費されればその分は確実に減少しているとの指摘には、思わず唸らされた。太陽エネルギーを物質化し、毎年再生産が可能な農業こそが自然から価値を引き出しうるのである。このエネルギー収支の考え方は、『経済学は自然をどうとらえてきたか』を著したハンス・イムラーの視点、「自然から得る価値」の少なくとも一部を形成するものとなりそうである。従って、エネルギー収支と自然価値説が組み合わされば、新しい時代を作る環境経済学になるように思えるのだ。

 最近になって登場したかに見えるエコロジー経済学であるが、その起源は一般的な経済学と同じように古く100年近くも前に登場していたとされる。きっかけは産業革命であった。産業革命は「生命の循環」を乗り越えさせるものであった。石炭の大量使用というストック型経済への移行、エネルギー革命が開始されたからである。そこでは当初、貧富の差も拡大した。