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 「困難な状況を乗り切ったとき、私は大きく成長した」。IT業界が誇る伝説のリーダーたちは、こう口をそろえる。想定外の事態が次々と起きている今、平常時では身に付けられないスキルを磨く絶好の機会だ。過去の失敗を研究することで、困難を成長の糧にできる。伝説のリーダーたちはどのように考えて困難を乗り切り、何を学んだのか。本連載では、3人の経験談を紹介する。トップを飾るのは、日立製作所で活躍した名内泰蔵氏である。

 IT業界、伝説のリーダー3人は、いずれも、日本IT史上に名を残すシステム開発を統括した人たちだ。

図1●伝説のITリーダーが困難を乗り越えて学んだこと
図1●伝説のITリーダーが困難を乗り越えて学んだこと

 一人目は名内泰蔵氏。1970年代に日立製作所で国鉄の座席予約システムや新幹線の運行管理システムなどの大規模プロジェクトを成功に導いた。二人目の重木昭信氏は、1990年当時に日本最大級のシステムだった郵便貯金システムの開発を担当した。三人目は冨永章氏。1980年代に日本IBMで、銀行の第3次オンラインシステムのプロジェクトなどの指揮を執った。

 3人のリーダーに、自身を大きく成長させた転機を聞いたところ、いずれも「困難な局面を乗り越えたときだ」と答えた(図1)。日本復興という重責を担う私たちは、どうすればこの困難を糧にすることができるか。そのヒントを探るために、伝説のリーダーたちが当時、何を考え、どう行動したのかを見ていこう。

上司が自宅に現れ“強制連行”

 名内泰蔵氏は、1972年に稼働を開始した旧国鉄の座席予約システム「MARS105」のアプリケーション設計とプロジェクト運営を手掛けた。国内で初めて140万座席の予約をオンラインで可能にしたシステムだった。名内氏が乗り越えた困難は、MARS105の前身となるシステムの大規模トラブルだ。このトラブルから、「失敗を体系化すれば強みになることを学んだ。この経験があったからこそ、MARS105を成功させることができた」と名内氏は話す。

元日立製作所の名内泰蔵氏(写真:陶山 勉)
元日立製作所の名内泰蔵氏
1961年日立製作所入社。旧国鉄の座席予約システム「MARS」や新幹線の列車運行管理システム「COMTRAC」をはじめ、国内外の官公庁、金融関連企業の大規模システム構築プロジェクトに従事した。1997年日立システムアンドサービス(現日立ソリューションズ)社長に就任。顧問を経て2005年3月退任した後も、プロジェクトマネジメントについて研究活動を続ける。
(写真:陶山 勉)

 1969年1月、正月明け早々のことだった。名内氏(当時30歳)が自宅で休日を過ごしていると、上司の部長が突然訪ねてきた。「お前に事故対策を任せたい。今からすぐに来てほしい」。上司はそう告げると、有無を言わさずに玄関先に停めたホンダの軽自動車、N360に名内氏を乗せた。

 「まるで強制連行のようだった」。名内氏は、この日の出来事を冗談交じりにこう振り返る。事実、これが名内氏に訪れた、入社以来最大の困難の始まりだった。

 名内氏が任されたのは、1968年9月に稼働を開始した、国鉄の座席予約システム「MARS103」のトラブル対応である。MARS103は「ヨンサントウ(昭和43年10月のこと)」と呼ばれた、戦後有数の大規模ダイヤ改正に伴って稼働したシステムだった。

 このダイヤ改正と相まってMARS103は稼働直後からトラブルが相次いだ。同じ座席のチケットを二重に発券したり、本来はないはずの座席を販売したりする不具合が次々に発覚した。

 国鉄はシステムトラブルを運用でカバーしていたが、日立にとって不具合の修正は急務だった。稼働開始から3カ月たっていた1969年1月時点でも、プロジェクトメンバーはプログラムの修正に追われていた。名内氏は直接プロジェクトには参加していなかったが、不具合修正が最優先のメンバーに代わり、顧客対応を任された。