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 2011年6月末、北京-上海間の高速鉄道が開業した。最短4時間48分、通常は5時間少々で両都市を結ぶ。このニュースを受けて筆者の上司は「これからは『動車(中国では中国新幹線のことをこう呼ぶ)』だな」とつぶやいた。

 上司が高速鉄道に期待したのも無理からぬことだった。鉄道開業に先立つこと数日前、大雨のために北京の空港で長い間足止めに遭い、結局現地で1泊を余儀なくされたからだ。

 近年、朝から夜まで予定がぎっしりと詰まっているようなビジネスパーソンにとって、中国での飛行機による移動はかなりの緊張を強いられる。「悪天候」だの「管制指示待ち」だのといった、はっきりしない理由で定刻通り離陸できないことが多いからだ。先の上司は登壇するはずだった講演会に間に合わなくなり、結果としてその講演会は中止と相成ったのである。

航空機の定時出発率は公称の数字より低い

 中国民航局の統計によると、中国系航空会社の定時出発率は大手航空会社で75.8%、中小で68.8%とのことだ。もっとも、この「定時出発」にはただし書きを付けた方がよいかもしれない。航空業界では飛行機のドアが閉まった時点で「出発」と見なすそうで、搭乗したものの滑走路でもんもんと過ごす時間はカウントされない。

 一方、2010年から全国的な大幅な増便の影響によって中国の空は混雑している。このため滑走路直前での「管制指示待ち」が非常に多くなっている。厳密な意味での定時出発率はもっと低いだろう。

 しかも市街地から空港は遠く離れている。空港への移動時間と空港での待ち時間、そして定時出発できない分の遅延を考慮すれば、空路の高速鉄道に対する時間的な優位性は低い。

鉄路でも所要時間は実質同等、料金は割安

 上海-北京便を例に考えてみよう。上海市の中心部から上海浦東空港までの所要時間は、タクシーかリムジンバスを利用することが多く、1時間から1時間半かかる。ちなみに地下鉄もあるものの、距離が長いうえ各駅停車のためさらに時間がかかる。空港には遅くとも出発の1時間前には到着している必要がある。飛行時間は約2時間20分。そこからまた北京市中心部までの移動が加わる。従ってドアツードアの所要時間は、両都市を5時間強で結ぶ高速鉄道と大差なくなる。

 料金はどうだろうか。北京-上海間の列車に設けられた「ビジネスクラスシート」は1750元(約2万1000円)と、飛行機のエコノミー正規料金1130元(約1万3560円)より割高だ。しかし2等席であれば555元(約6660円)である。平均的な所得の中国人にはまだ高嶺の花だが、ビジネス利用としては十分に割安といえる。さらに鉄道には、遅延が多い最近の飛行機よりは時間が読みやすい、オフィス街から駅が近いといった利点を期待できるはずだ。

 中国で働く多くのビジネスパーソンが、これらのメリットを北京-上海間の高速鉄道が開業する前から期待していたのではないだろうか。航空会社もそれを懸念していたようだ。

 実際に高速鉄道の開業後、航空大手である中国東方航空は北京-上海航空路線の投入座席数を大幅に減らしている。小型機に変更したことにより、前週比で19%、前年同期比では39%も座席数が減少した。しかも平均搭乗率も85%だったのが80%に下がっている。ドル箱路線であるにもかかわらず、7月のエアチケット最低価格は400元(約4800円)にまで落ち、高速鉄道への乗り換えが進むかの気配であった。

結局空路に戻っていく利用客

 ところが北京-上海間の高速鉄道の開業後、電気系統の故障による停車が相次いだ。このために、突貫工事で完成させた線路や車両の品質に対する利用者の不安が高まった。特に私の上司のように「高速鉄道はそう遅延も起こるまい」と期待していた人たちにとっては、とんだ肩すかしとなってしまった。

 列車の場合、1本に問題が発生したらそれからは玉突きのように遅れが発生する。開業当初の期待感は、急激に落胆の声に変わった。

 政府高官がいうところの「試運転期」に故障が相次ぐなか、7月23日には浙江省杭州発温州行きの高速鉄道で大事故が起こってしまった。中国政府はこの事故の原因や死傷者数、善後策などについて、28日になってようやく本格調査を開始。まだ人々を納得させる発表をしていない。

 鉄道に対する不安感が払拭されないなか、北京-上海間の航空券の最低価格は570元にまで再び上昇した。7月26日には300人乗りのボーイング777-300ERが就航するなど、鉄道から再び飛行機に顧客が戻る兆候が見られる。

 突貫工事で開業を急ぎ、安全性を後回しにした感がある中国高速鉄道。広大な土地で安価・快適な交通手段は15億ともいわれる中国人民の必要とするものでもある。一日も早く不安要因を取り除き、信頼を回復してほしいものだ。


佐々木 清美(ささき きよみ)
 1969年生まれ。北海道大学経済研究科修士課程修了。卒業論文のテーマは「近代上海の下層労働力」。「文字化されない『老百姓(一般市民)』の生活ウォッチ」を続ける。
 日本総合研究所の中国法人である日綜(上海)投資コンサルティング有限公司などを経て、2012年2月から拓知管理諮詢(上海)有限公司のコンサルタント。