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 日本企業では業務パッケージを導入する際、カスタマイズし過ぎだという批判が以前からある。これについて、システム開発会社がカスタマイズによる開発費の増大を狙っているからだという解説まであるが、さすがにそれは言いがかりだろうと思っている。開発する立場からいえば、カスタマイズが増えれば開発に伴うリスクも大きくなり、単純に喜べる話ではない。筆者の見るところ、利用部門の要望に開発側が真面目に応えようした結果にすぎない。つまり、利用部門の要望をコントロールできないことに起因する。今回はこの話題を取り上げたい。その先に、日本企業が目指すべきIT活用の姿があると思うからだ。

 なぜ、日本企業では利用部門の要望をコントロールするのが難しいのか。これはシステム開発会社の問題というより発注企業の問題だ。業務パッケージを導入しようとすると、利用部門の仕事の進め方を変更することになる。その変更を利用部門が良しとしなければ、個別のカスタマイズが増えて費用がかさむ。ここに、経費削減のためにカスタマイズを避けたい経営層と利用部門の対立構図ができる。

 業務パッケージがカスタマイズだらけになるのは、経営層が利用部門に対して「仕事のやり方をパッケージに合わせろ」と強制できないためである。極端に言い換えれば「このパッケージが嫌なら会社を辞めてくれ」と言えないからだ。法律上の問題ももちろんあるが、何より業務の進め方を現場任せにしてきたので、現場社員がいなくなると仕事の進め方が分からず業務が止まってしまう。パッケージの機能で十分かどうかが現場にしか判断できない以上、どこをどうカスタマイズするかは利用部門の意思に左右される。

 この状況から連想するのは、いわゆる「主人と奴隷のたとえ」における立場の逆転の構図である。これは哲学者ヘーゲルの著書に由来するものだ。『労働のすべてを奴隷にさせている主人は、奴隷の労働なしには生きていくことができなくなってしまう。自由を拘束しているはずが、いつしか奴隷の労働への依存性が高まり不自由になる。一方で奴隷は日々の労働の中で、形あるものを生み出す力を身に付け、自立性と精神の自由を獲得する』。古い哲学書のたとえを適用してよいのかどうか、専門的なことは筆者には分からない。だが「経営層は社員に業務を命令できる立場であるが、利用部門にパッケージを押し付ける自由はない」というのはその通りの状況と見える。

 筆者はこれが悪いとは実は思わない。日本企業では社員の雇用を維持すると同時に自律的な業務の遂行を認めてきた。現場主導で改善し、そこでの創意工夫が高い品質につながる。この好循環が日本の発展を支えてきた。昨今の風潮はどちらかというとグローバル化で、経営層のトップダウンによる意思決定を求める声が強いようだ。だがこれは仕事を通じた自己実現の意識の強い日本人の仕事観に合うのだろうか。グローバル化というのが、仕事はマニュアル通り、余計なことはしないし考えない、という割り切りを意味するのだとしたらつまらないと思う。

 ボトムアップの改善は個別最適になり、全体最適にならないという批判はある。確かに現場主導では部門間の調整が難しく、要件が複雑になりがちな面はある。しかし、現場担当者が個別最適を望んでるわけではない。実際、業務フローなどから業務の全容が分かれば、全体視点での要件の議論が進んでいく。

 問題なのはカスタマイズが多いことではなく、それが妥当かどうかの判断ができないことだ。トップダウンで行うべきことは、全体像を見渡せるようにした上で必要なシステム構築の方向性を示してリードすることだ。そうすることで、ボトムアップでの業務改善の議論を全体最適へとつなげられる。日本企業が目指すべきIT活用の姿はそこにあるのではないか。

林 浩一(はやし こういち)
ピースミール・テクノロジー株式会社 代表取締役社長。ウルシステムズ ディレクターを兼務。富士ゼロックス、外資系データベースベンダーを経て現職。オブジェクト指向、XMLデータベース、SOA(Service Oriented Architecture)などに知見を持つITアーキテクトとして、企業への革新的IT導入に取り組む。現在、企業や公共機関のシステム発注側支援コンサルティングに注力