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 エコロジーの価値は多様性だと言われているが、多様性と言っても各種ある。このうち種の多様性、すなわち生物多様性については、ほとんどのエコロジストの共通認識となっているから、あえて言うまでもないだろう。

 遺伝子多様性については、環境問題を資源枯渇と人口との関わりのみに集約している一部のネオマルサス主義者は関心を示さないが、生物学の知識をもったエコロジストはよく認識している。遺伝子多様性が失われた時、種は滅ぶからだ。人間もまた例外でない以上、人類遺伝子の宝庫であるアフリカの人たちを守るのは、全人類的課題である。

 しかし文化的多様性、なかんずく少数民族問題については「エスニック問題は環境問題である」という認識がありながら理解されない。文化的多様性は、来るべき文明の視点から、守らなければならない重要課題である。その一つの型に、文化的多様性を「積み重ね」によって成し遂げてきた日本があるが、もう一つの型にハプスブルク帝国がある。

 ハプスブルクとは、元はスイスとフランスの間にあったハピヒツブルク城を拠点とした領主の一族のことで、後に神聖ローマ帝国(ドイツ)皇帝となり、その全盛期には英国とフランスを除くほとんどの西欧・中欧世界を支配した一族である。しかし近代になってからの歴史は、ハプスブルク家にとっては受難の歴史であった。「古き専制国家」とか「民族的まとまりを欠いている」とか批判もされやすかった。何度も敗戦を被り、第一次世界大戦で滅んでいったオーストリア・ハンガリー帝国が最後の姿であった。

 ハプスブルク家を最も苦しめた外敵はフランスであった。特にフランス革命とナポレオンの侵略はハブスブルク家のみならず、欧州全土に深刻な被害をもたらした。そしてナポレオン戦争が終結した後も、その後遺症にハプスブルク家は悩むことになる。というよりも、ナポレオンが己の侵略の道具として、ナショナリズムというパンドラの箱を開封してしまったため、欧州全土にナショナリズムの嵐が吹き乱れることになったと言う方が妥当かもしれない。

 東方の帝国エスターライヒ(オーストリア)を根拠に広がっていたハプスブルク帝国は、一民族一国家レベルにとどまらない超帝国、複数の民族を併存させていた。しかしナショナリズムが発露する一つの型、「一つの民族、一つの国家」の理念はハプスブルク帝国を空中分解させる危険に満ちている。帝国内部の諸民族が独立や分離運動に走るからである。多民族国家はナショナリズムの時代に不安定な地位に置かれていた。

 このような事態に直面したハプスブルク帝国を救うために、当時の宰相クレメンス・メッテルニヒが行ったのは正統性の国際秩序作りである。ウィーン体制と呼ばれているものは、ハプスブルク帝国を、その地における唯一の主権国家として認めさせる国際秩序を作り上げ、その秩序を各国が協調して守っていこうという一種の集団安全保障体制のことである。ハプスブルク家の危機は、国際秩序を乱すものとして他の国々にとっても脅威となる。こうしてハプスブルク帝国内の社会的な不安定は列強の協調という国際秩序によって抑止されたと、ヘンリー・キッシンジャーは「回復された世界平和」の中で書いている。しかし、このやり方には限界があった。暴発しがちなナショナリズムは抑えきれず、1847年と1848年の「民族の春」を迎える。放っておけば、ハプスブルク帝国は空中分解して歴史の彼方に消えることになった。ところがハプスブルク帝国の多民族性は、空中分解も容易に許さない複雑さを有していた。