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 日本IBMとスルガ銀行のシステム開発に関わる訴訟に関して、筆者は二つの視点から大きな関心を持っている。訴訟の経緯や判決は一般マスコミでもセンセーショナルに報道されたのでここではその説明を省くが、多くの読者は顛末をご存じのことと思う。

 この訴訟と判決は日本IBMだけの問題ではなく、多くのユーザー企業とベンダー双方に、非常に大きなインパクトを与えたことは事実であろう。特に74億円という賠償額の大きさや、ベンダー側の責任を重く認めた判決はベンダーにとって衝撃的であったはずだ。

 筆者の視点の一つはこの事案でどのような調達プロセスが取られたのかという点である。筆者の仕事の多くはRFP作成やベンダー選定といった調達に関するコンサルティングであり、プロジェクトの失敗要因の多くは調達時に既に潜んでいると考えている。しかし、報道の多くは開発時のプロジェクトマネジメントを問題視しているものがほとんどである。また、日本IBMが判決書の閲覧制限を申し立てているため、情報は限られている。この調達の視点に関しては後日改めて研究したいと考えている。

 もう一つの視点は日本IBMという会社の変質だ。筆者は日本IBMのOBであり、在職時に所属した営業所で、隣のSE課にスルガ銀行の担当チームがあった。当時のスルガ銀行と日本IBMの関係は非常に良好であった。スルガ銀行はシステム投資に積極的であり、日本IBMの提案を受け入れて、新しいことに次々と取り組んでいた。

 そして営業所でもスキルの高いSEがスルガ銀行を担当し、熱心に仕事に取り組んでいた。筆者は一度、スルガ銀行のシステム部と一緒に開かれたSEの勉強会に、参加させてもらったことがある。その活気ある様子に、当時若手だった筆者は大いに刺激を受けた。勉強会の後は盛大な懇親会となり、調子に乗りすぎて終電を逃し、急きょ安宿に泊まったことが懐かしい。

 訴訟関連の報道記事にはほとんど出てこないが、スルガ銀行と日本IBMは長い期間、良好な取引関係があったことを忘れてはならない。だから、筆者はこの3月に出た判決よりもむしろ、数年前に最初にスルガ銀行が日本IBMを訴えたと聞いたときのほうが大きなショックを受けたのである。いったい何が起こって、訴訟にまで発展してしまったのか。

 ここから先は筆者の推測なので、後日間違っていることが判明してもご容赦いただきたい。

 まず、両社ともに良好なパートナーと認識していたことで、それが災いして調達時の詰めが双方ともに甘かったのではないかということだ。つまり前述の一つめの視点に関係してくる。スルガ銀行は長い付き合いのある日本IBMを信頼していたはずだ。だが、この案件の契約当時にスルガ銀行がイメージしていた日本IBMとその実態は乖離があったのではないかと思う。

 訴訟判決の直後、日本IBMで56年ぶりに外国人社長への交代が発表された。訴訟結果とは直接的な関連はないだろう。しかし、スルガ銀行訴訟を生んだ根底には日本IBMの「脱日本的経営」の影響が少なからずあるのではないか。

 今回の社長交代劇以前から、この10年、日本IBMでは急激に外国人の役員が増えている。断っておくが外国人役員が増えてグローバル化することが悪いとは思っていない。NECや富士通といった国産ベンダーの雄も業績に苦しんでいる状況であれば、米国企業であるIBMとしては脱日本的経営により日本IBMを立て直そうと考えるのは選択肢の一つとして当然あり得る話だ。

 だが、「日本」のIBMと付き合ってきたユーザーにとってはそれは大きなギャップとなる。その一つの象徴的なケースがこのスルガ銀行訴訟ではないか。今後も筆者はこの事件を追跡していくつもりだ。

永井 昭弘(ながい あきひろ)
1963年東京都出身。イントリーグ代表取締役社長兼CEO、NPO法人全国異業種グループネットワークフォーラム(INF)副理事長。日本IBMの金融担当SEを経て、ベンチャー系ITコンサルのイントリーグに参画、96年社長に就任。多数のIT案件のコーディネーションおよびコンサルティング、RFP作成支援などを手掛ける。著書に「事例で学ぶRFP作成術実践マニュアル」「RFP&提案書完全マニュアル」(日経BP社)、