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 被災地に入った野口は自治体まわりを続けていた。生川はNPOへのアプローチを始めていた。彼らの活動に、日を追うごとに支援者が増え、協力や情報が集まってきた。だが、その一方でビジネスツールを無償で提供することに、案じる声も聞かれるようになった。=文中敬称略

【前回より続く】

やらなければ、富士通はお金がないと動かない会社だと思われてしまう

 社内の一部からは、ビジネスツールを無償で提供し、人もつぎ込み続けることを案じる声も聞かれた。それを生川は「現場を知らない人の言うことです」と一蹴する。

「実践あるのみ。理屈なんて後付けです。考えてから行動するのでは遅い。行動しながら考えて、実践知を得るしかありません。そうしながら実績を作れば、必ず報われます。逆に、こういった非常時に、やらなかったらどうなりますか。富士通はお金がないと動かない会社だと思われてしまう」

 社長の言葉も支えになった。

「被災地支援は競争ではない。いくら寄付したか、いくら無償にしたかを競う必要はない。本当に役に立つ、地に足が着いたことをやろう」

 生川らは、つなプロのスタッフやボランティアの学生から「チーム富士通」と呼ばれるようになった。チーム富士通の若い社員と、学生ボランティアはそれほど年齢が変わらない。すぐに仲良くなり、仕事以外の話もするようになる。「次にパソコンを買うときは、もちろん、わかってますって」と言われたときはうれしかった。

 生川は被災地に入り浸りで、自宅に帰るのは限られた時間だけ。妻は、何かあると現地に張り付く夫に慣れている。生後間もない子どもの成長を見守る時間は短い。
「まあ、たまに会うぶん、いっそう可愛いと思えるのかもしれませんしね」