PR

ブランク氏が著した「シリコンバレーの秘密の歴史」シリーズの第1回では、シリコンバレーの起源が、一般に言われる半導体やパソコン関連が開発された1960年代ではなく、第2次世界大戦やそれ以前までさかのぼることを紹介しました。今回は、その中心となっている人物の登場背景を記しています。(ITpro)

 このブログは、私が書き始めた「シリコンバレーの秘められた歴史」の第2章です。このシリーズの第1章と、このタイトルのビデオスライドを見ていただけると、内容がより理解しやすくなると思います。

 シリコンバレーの秘密の歴史という“パズル”の次の一片は、私がトム・バイヤーズ氏やティナ・セリッグ氏、マーク・レーズリー氏たちに、スタンフォード大学の工学部のスタンフォード・テクノロジーベンチャー・プログラムでアントレプレナーシップを教えないかと誘われたことに起因します。そして、私のオフィスはターマン工学部ビル内にあります。

フレッド・ターマン――その経歴

 私はターマン教授のことを聞いてはいましたが、実際に何をした人なのかまでは知りませんでした。彼の自伝によると、彼は1930年代の非常に著名なラジオ・エンジニアであり、その分野の教科書を書いた、まさにその人だということでした。彼は、生徒であるビル・ヒューレット氏とデヴィッド・パッカード氏が1939年に会社を創業するのを支援しました。第二次世界大戦中は、ハーバード・ラジオ研究所の所長でした。彼の自伝には、第二次世界大戦後の活動が書かれています。1937年には電子工学部長、1946年には工学部長、1955年には学術担当責任教授(プロボースト)に就任します。1954年に、彼はスタンフォード・オナーズ・コープを開始し、シリコンバレーにある会社のエンジニアたちが、スタンフォード大学院工学部で授業を受けられるようにしました。

 私は、シリコンバレーの歴史とアントレプレナーシップ、そしてターマン教授に興味を持っていたので、1950年代と60年代にシリコンバレーに設立された多数のマイクロウエーブ企業に、ターマン教授が深く関与していたことを知り始めました。しかし、どうやって関与しだしたのでしょうか。そして、その理由は何だったでしょうか。

 そこで私は、マイクロウエーブ開発に関係のある文献を手当たり次第に読み始めました。その結果、第二次世界大戦中のレーダーの歴史に、私を引き戻しました。この話を、あなたは知らないかもしれません。

第二次世界大戦はシリコンバレーと、どういう関係があるのですか?

 簡単に歴史を振り返ってみましょう。1941年12月に日本は真珠湾を攻撃し、ドイツは米国に宣戦布告しました。ソ連が東ヨーロッパで大掛かりな地上戦をドイツに対して展開しているとき、1944年6月に連合軍が西ヨーロッパを侵略するまでに米国と英国がドイツの戦力に対抗できる方法は、英国本土から戦略的な爆撃キャンペーンをすることだけでした。連合軍の狙いは、ドイツが戦争を遂行するのに必要な主要なインフラ施設を空爆で破壊し、ドイツの戦争遂行能力を破壊することでした。

 連合国の空爆のターゲットは、ドイツの石油施設、航空機製造施設、化学製品製造施設、交通施設などでした。米国と英国は役割分担し、英国は夜間、米国は昼間に空爆したのです。

[画像のクリックで拡大表示]
[画像のクリックで拡大表示]