24p―プログレッシブ方式で24フレーム/秒―で撮影できるデジタルHDビデオ・カメラを開発するには,ソニーの力だけでは足りなかった。彼らは,映画会社がカメラを使いこなすための環境を,他社と協力して整えなければならなかった。例えば,撮影したビデオ映像をフィルムに変換するテレシネ装置や,カメラと組み合わせて使うレンズの開発である。そのためにソニーは,オランダRoyal Philips Electronics社などの競合メーカーと力を合わせた。米Lucasfilm Ltd.と米LaserPacific Media Corp.という,映画産業やテレビ業界に大きな発言力を持つ顧客の要求が,普段は競い合う各社を一致団結させた。
カメラ用のレンズを作成するために,Lucasfilm社は業務用レンズ大手の米Panavision Inc.とフジノンに打診。このうち白羽の矢が立ったのがPanavision社だった。Lucasfilm社傘下の米Industrial Light & Magic(ILM)社でDigital HD Supervisorを務めるFred Meyersによれば,Panavison社はLucasfilm社が求める技術を持っていた上,少量のレンズを短期間で製造できたことが決め手になった。
Panavision社で24p対応カメラ用のレンズ「Primo Digital」の開発を統括したのが,現在同社のSenior Vice President of Advanced Digital ImagingのJohn Galtである。彼は,フィルム・カメラの置き換えを目指した技術者の中でも最古参の1人だ。Johnによると,HDビデオ・カメラでフィルム・カメラを代替する歴史は,1984年にカナダのテレビ放送局が主導したプロジェクトにまでさかのぼる。ソニーが開発した最初のHDビデオ・カメラ「HDC-100」を,Panavision社が協力して使いこなした。CCDなどの固体撮像素子ではなく,撮像管を用いたアナログのカメラだった。Johnもまた,このプロジェクトに参加していた。

No Sale but a Buy
その後,Johnはソニーの研究開発部門に加わり,ロサンゼルスに移った。そこで彼は,George Lucasに出会う。1992年のことだ。Georgeがソニーを訪れたのは,Lucasfilm社が開発したデジタル・ビデオ編集システム「Editdroid」を売り込むためだった。結局この商談は物別れに終わり,JohnはGeorgeに「ノー」と告げた。
交渉の間に,Georgeは自分の夢を語った。技術が整い次第,「STAR WARS」シリーズの残りの作品に取り掛かりたいと。Johnは,Georgeにソニーの最新のデジタルHDビデオ・カメラ「HDC-500」を勧める。1インチ型のCCD型撮像素子を用いた機種で,登場したばかりだった。Georgeは答えた。
「あれなら,僕らのエンジニアから,それほど良くないって聞いたが」
Johnは切り返す。
「きっと彼らは実物を見てないからでしょう」
次の週,ILM社のエンジニアが大挙してソニーに押し掛けた。皆,一様に機嫌が悪い。まるで「君たちは,ちゃんと仕事をしているのか」と,Georgeに一喝されたかのようだった。この時から,ソニーとLucasfilm社の間で長い話し合いが始まった。