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 「大阪維新」「大阪都構想」が注目を集めている。だが地域政党「大阪維新の会」の発足の由来についてはあまり知られていない。筆者は2011年6月から12月まで維新の会の政策特別顧問を務めていた。今回と次回は、地域政党「大阪維新の会」の由来と活動について紹介したい。

橋下知事当選から2年後に発足

 地域政党「大阪維新の会」は、2010年4月19日に大阪府議団を中心に33人の議員が集まって発足した。これは橋下徹氏が知事に当選した約2年後のことである。しばしば「橋下氏は維新の会から出て知事になった」と誤解されるが、そうではない。橋下氏は、2008年の知事選で、府議会議員だった松井一郎(現知事)・浅田均(現府議会議長)の両氏が所属していた自民党と公明党の推薦で知事に当選した。その2年後に橋下・松井・浅田の3人が合流して維新の会ができた。

 発足時の代表には橋下知事が、幹事長には松井一郎議員が、そして政調会長には浅田均議員が就任した。立ち上げに際し作成した党の綱領と「大阪再生マスタープラン」には、「府市統合」「広域行政の一元化」など、今取り組んでいるテーマがほとんど書かれていた。

 結党1年後の2011年4月に統一地方選挙があった。維新の会は大阪府議会で過半数を獲得し、大阪市議会と堺市議会では過半数に届かなかったものの第一党に躍進した。また同年11月の大阪府知事と大阪市長のダブル選挙では、橋下徹市長、松井一郎府知事を同時に当選させた。

「地域政党」の着想の原点

 地域政党の着想のきっかけは10年以上も前に遡る。1999年から2000年にかけて大阪市長・府知事選挙が行われた。立候補した磯村隆文市長と太田房江府知事はともに自民党推薦を受けていたが、全く異なる政策を掲げていた。大阪では当時から二重行政が課題とされていたが、太田氏は府が大阪市を吸収する「大阪新都構想」という案を、磯村氏は大阪市が府から独立する「スーパー政令市制度」を主張していた。浅田氏は「対立する両者を自民党本部が同時に推薦するのはおかしい」と党幹部に詰め寄った。しかし「地域で決めてもらうより仕方がない」という答えにとどまり、それでいて推薦の決定権は党本部が持ったままだった。

 それ以来、浅田氏と仲間の議員たちは、「地域課題については地方が独自に決められるようにすべきだ。中央と地方の関係は、本部と支部という関係ではなく、それぞれの地域で独立している支部の連合体に再構成する必要がある」と考えるようになった。それがやがて「地域政党」、ローカルパーティーの構想となった。 

 そしてついに2007年の統一地方選挙で浅田氏(当時、自民党府議団副幹事長)は自身の選挙公約に「地域政党(ローカルパーティー)設立をめざす」と掲げた。これはまさに自民党の中における地方分権運動だった。

 2008年2月の府知事選挙後に、橋下氏は浅田氏の選挙公約にある「ローカルパーティー」という言葉に目を留め「これは何か」と質問をする。浅田氏はこう説明をした。「自民であれ、民主であれ、既存政党は何事も東京の本部で決めて地方はそれに従う構造になっている。地方の意向が反映されない党運営をしている。国の分権化には政党の分権化も必要だ。そのためにはローカルパーティーという形がいい」。橋下府知事は、強く関心をそそられた様子だった。それから2年後の2010年4月、大阪維新の会は船出した。

上山 信一(うえやま・しんいち)
慶應義塾大学総合政策学部教授
上山信一
慶應義塾大学総合政策学部教授。運輸省、マッキンゼー(共同経営者)等を経て現職。大阪府・市特別顧問、新潟市都市政策研究所長も務める。専門は経営改革、地域経営。2012年9月に『公共経営の再構築 ~大阪から日本を変える』を発刊。ほかに『自治体改革の突破口』、『行政の経営分析―大阪市の挑戦』、『行政の解体と再生』、『大阪維新―橋下改革が日本を変える』など編著書多数。