PR

 2011年の東京モーターショーで、トヨタは「Fun Vii」と名付けた一風変わったコンセプトカーを発表した。トヨタ社長の豊田章男氏が、スマートフォンにタイヤを付けたと称したFun Viiは、車体の側面が大きなディスプレイになっていて、あらゆる風景を映し出す車であった(関連記事)。

 それは従来の車と言うよりも移動する情報端末といった風情だった。Fun Viiが走る映像は、そのプロモーションビデオで堪能することができたが、リアルな風景の中に、Fun Viiが映し出すバーチャルな映像が加わり、新しいリアルな風景を創り上げていた。マイクロソフトのOSであるWindowsがWebへの扉を開けたように、Fun Viiがリアルな空間とWeb、いやもはやクラウドと言う方がふさわしい世界とを繋げていた。

車がマルチスクリーン時代の1つの画面に

 Fun Viiは新しいテクノロジーの産物としてまったく違う文脈から提案を投げかけていた。それは車がマルチスクリーン時代の、1つのスクリーンとしての捉え方を示していたからである。スマートフォン、タブレット、PC、テレビなどなど、さまざまなスクリーンが日常生活に登場してきているこの時代に、スクリーンの1つとしてまったく新しい車が登場したという感覚。それは、大きくオープン化の象徴としても可能性を示唆していたと思う。

 あのパネルの中にFun Viiはあらゆるものを映し出すことができるとしたらどうだろう。少しでも遊び心がある人であればFun Viiのボディにライバル企業の車を映し出している様子を浮かべたりしたのではないだろうか。トヨタのFun Viiではなく、ユーザーがFun Viiを所有している姿、風景を思い浮かべてみるといい。所有者の遊び心は、ライバル車の映像と、そのキャッチコピーを車体に映し出して街を疾走する、あるいはトヨタ本社の前に駐車することすらできるのだ。

 このように人間の高度な欲求が実現される風景というのは、機械の方が人間に近付いていく風景になる。素晴らしいUXを伴った商品やサービスは、日常であるマルチスクリーンの風景に溶け込んでいく。

究極のUXは“新しい日常行為”を創出する

 究極のUXは、OSとしてのWindowsや、Googleのように、かつて無かった新しい日常行為を創出する。しかもグローバル規模で。一方で、例えばGoogleで検索する人は増えたが人々が辞書を引くかつての日常行為が減っているだろう。シンプルなデザイン、多くの人々に繰り返し使われる、データが蓄積される、常に改良が加えられているといったことがそれら究極のUXの特徴だ。

 新しいUXによってもたらされる日常行為は従来の日常行為よりも時間短縮されており、便利で、それゆえに従来の行為を駆逐し、その新しい行為の回数を増やし、違う風景で歴史を作っていく。しかし、新しいUXによってもたらされる新しい日常行為の偉大さ、斬新さは日常生活に馴染んでしまうがゆえに、登場時はともかくその凄さを実感できなくなるという特徴を持っている。

 究極のUXは日常になってしまうゆえ、ハレとケの、ケなのである。

水川 毅(みずかわ たけし)
電通 第4CRP局プランニング・ディレクター
東京大学大学院学際情報学府卒。1990年電通入社以来コピーライター、CMプランナーを経て、1998年以降インタラクティブ領域のビジネスに従事。Webの制作ディレクターを経て2005年以降は新規事業開発に携わる。スマートフォンアプリの開発から、プラットフォーム開発、企業戦略まで業務範囲は広い。