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 昨年、プロの陸上選手を引退し、現在はスポーツの魅力を伝える仕事をしている。私は競技を通して世界に挑んできた。幼いころに駆けっこをして負けたことはなかった。地元の中学校では陸上部に入部し、全日本中学校選手権では100メートル、200メートル、400メートルなど数々の種目で全国優勝し、当時の中学生の日本新記録を出した。今注目の桐生祥秀くん、カール・ルイスよりも中学時代の記録は良かった。

転機になったのは高校2年、競技人生で初めての敗北

元プロ陸上選手 為末 大 氏
元プロ陸上選手
為末 大 氏

 転機になったのは高校2年生の広島県大会のことだ。競技で初めて負けた。それも1年下の後輩にだ。最大の敗因は私の身体にあった。私は超早熟型で、中学生の中で私の身体能力は圧倒的に高く、2位以下を大きく引き離せた。しかし、高校生になると身体能力の差は年々縮まり、中学時代ほど差が付かなくなった。

 短距離では以前のような好成績を残すのは難しい。こう考えて400メートルに種目を変更した。狙い通りジュニア日本新記録を出して優勝できた。400メートル日本代表に選ばれ、オーストラリアに遠征した。しかし、結果は無残、4位に終わった。

 世界トップクラスの選手との力の差を感じ、諦めに似た気持ちでハードル競技を見ていて、技術面では日本人のほうがうまいことに気付いた。ハードル競技は足の速さだけでなく、ジャンプのタイミングの取り方など様々な要素が複雑に絡み合う。世界で勝つには、夢を追うだけでなく勝てるものを選ぶことも大切だ。技術や戦略を高めれば優勝できると確信し、18歳のときに400メートルハードルに主戦場を移した。

 ハードルで世界を目指して練習を重ねたが、大学の陸上部では3年間は思うように走れなかった。当時、陸上界で一世をを風靡し、私たち学生にとってスーパースターだった大先輩がいた。その方に近づきたいと思い、トレーニング法を真似たが、かえって自分の走りを忘れてしまい、スランプに陥った。

 陸上競技に限らず、どの世界にも時代を代表するスーパースターがいる。あこがれのスーパースターに少しでも近づきたい。しかし、スーパースターは例外的な存在で、模倣しても近づける相手ではない。これが私の競技人生で学んだことの1つだ。

シドニー五輪の代表に、ハードル転倒で予選落ち

 スランプを脱出できたのは自分の走りに戻ってからのことだ。大学4年生のときシドニー五輪の代表に選ばれた。しかし、予選のレースでは途中までリードしていたが、9台目のハードルで転倒してしまう。 シドニーでは強い風が吹いていた。ハードルの間は35メートルあり、同じ歩数で走る。しかし、風の影響で歩幅が数センチ変わることがある。そのため、腕の振りを変化させたりして、歩幅をハードルに合わせるといった技術が必要だ。それまで私は比較的穏やかな日本の競技場で戦うことが多く、シドニーの強風に対応できなかった。

 翌年、世界で経験を積むため、欧州のグランプリ大会への参戦を決意した。当時、唯一日本で開催されていた「IAAFグランプリ大阪」の会場に赴き、名刺を配り自分を売り込んだ。幸運にも後日、欧州で欠場者が出たので「3日後のイタリア大会に参加できるか」という誘いが届いた。

 その大会に参加し、欧州各地で4試合を戦うという経験を積んだ。その後、いったん調子を落としたが、2001年のカナダ・エドモントン世界選手権では調子が戻り、400メートルハードルで日本人初の銅メダルを獲得できた。

 人生には「ここが勝負」というときがある。そんなときは躊躇しないことが大切だ。振り返ると、誘いがあったときイタリア行きを即決できたのは、世界で一番になりたいという強い意思と、世界で勝つためには経験を積み重ねるしかないという思いがあったからだ。

安定した生活で勝負できない、退社してプロ陸上選手に転身

 当時、私は大企業に所属し、毎月給料をもらいながら国際レースに参加していた。知り合った外国人選手からレースの賞金で生計を立てている話を聞いた。安定した生活があるから勝負できないと考え、プロに転向した。なりふり構わずやれば、怖いものはないと思った。

 メダルを取った大会はエドモントン世界選手権と、2005年のフィンランド・ヘルシンキ世界選手権だ。この大会では身体能力が高い若手が多く、私の実力は5~6位と感じていた。実際、準決勝もギリギリの8位通過だった。しかし、決勝の前に降った強い雨が味方した。ウオーミングアップの場所には携帯電話が通じず、「スタート開始が遅れる」「中止になる」という噂が飛び交い、周りの選手は動揺していた。それを見た私は「出足で焦らせれば勝機がある」と考え、最初のハードルに到達するまでを思い切り飛ばす作戦を選んだ。狙い通りだった。大勢の選手が戸惑い、準決勝よりタイムを落とす中で私は銅メダルを獲得できた。

 何が成功の原因になるのか分からないのが競技だ。シドニーのときの失敗がなければ、悪天候時にこの発想は生まれなかった。どのような姿勢で、何にチャレンジしていくかで失敗の意味は大きく変わってくる。

 メジャーリーグで活躍した野茂英雄選手の姿を見て、世界で戦っていけると思った日本人は少なくないと思う。私は、現役時代、外国人に比べて体力で劣る日本人が陸上種目で金メダルを取れば、野茂選手のように社会にインパクトを与えられると夢見ていた。結局、銅メダルに終わったが、第2の人生では、世の中を驚かせるアスリートを育成したい。