PR

 衛星通信や太陽電池、UNIX、C言語、光ファイバー通信は全て米ベル研究所から生まれた。どれ一つ取っても画期的な発明だが、ベル研が上げた桁外れな成果はトランジスタと情報理論だ。両者とも蒸気機関と並ぶ、社会に最も大きな影響を与えた発明だろう。

 本書は気鋭のライターが雑誌記者の仕事の傍らで取り組んだ10年間にわたる綿密な取材を基に、ベル研の全歴史を描いた大著である。トランジスターの発明では嫉妬に燃えるウィリアム・ショックレーが部下のバーディーンらの業績を横取りしたことや、情報理論の創始者であるクロード・シャノンの変人ぶりなど興味深いエピソードが盛りだくさんだ。しかし、本書の真のテーマは『アイディア・ファクトリー』という原題が示す通り、「なぜベル研が数々の巨大なイノベーションを生み出せたのか」という謎の解明にある。

 その答えの一つが、研究者の独創を生かしながら、一つの目的に向かって組織化していく研究所の運営、管理体制にある。人物像でもマービン・ケリーとジョン・ピアースという日本ではあまり知られていない研究所の管理者に多くのページが充てられており、優れた管理者はエンジニア、科学者と同じくらい重要だということがよく分かる。

 本書の最も重要な問いかけは「トランジスタのような巨大な射程を持つ真のイノベーションはアカデミズムからも市場の競争からも生まれないのではないか」というものだ。米AT&Tという独占企業の無尽蔵の資源なしにベル研は存在しえなかった。メディチ家がルネッサンスのパトロンだったように、AT&Tは20世紀の技術イノベーションの大パトロンだった。著者は「AT&Tは研究資金を出しただけでなく、研究の成果を直ちに実用化し、大規模に普及させる力があったことが決定的に重要だった」という。アメリカ司法省によるAT&Tの分割で、ベル研は事実上その役割を終える。イノベーションの本質を考える上で必読文献といえるだろう。(敬称略)

 評者 滑川 海彦
千葉県生まれ。東京大学法学部卒業後、東京都庁勤務を経てIT評論家、翻訳者。TechCrunch 日本版(http://jp.techcrunch.com/)の翻訳を手がける。
世界の技術を支配するベル研究所の興亡


世界の技術を支配するベル研究所の興亡
ジョン・ガートナー 著
土方 奈美 訳
文藝春秋発行
2520円(税込)