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 最近、「民意」という言葉をよく聞く。当面は国政選挙がなく、自民党安定政権が続く。だから選挙で「民意」を問うのは難しい。そこで与党も野党も敵対勢力の動きを「民意に反する」と批判するのである。もちろんこういうのは我田引水でしかなく、ホンモノの民意ではない。だったら本当の民意とは何か。今回は民意について考える。

民意は架空の産物

 ホンモノの民意を捉えるのは実は不可能だ。なぜならすべての有権者の意見が一致することはない。政治とは、そもそも経済原則で割り切れない事柄を決める、つまりどろどろの利害調整を少しでもましに行うためのものである。一枚岩の民意が存在すれば政治はそもそも不要である。ならば「多数派の意見」が民意かといえばそれも違うだろう。なぜなら多数者の意見への迎合こそ、オルテガやトクヴィルが警告する“多数者の専制”“衆愚政治”の温床だからだ。

参画をどう保障するか

 ならばなぜ「民意の反映」とよくいうのか。これは実は一部の人だけが政治をやるという批判を象徴する言葉なのだ。選挙が終わると政治は人々から遠いものになる。そこで「民意が反映されていない」と時々、言うことで政治を引き戻す動きにつなげるのである。

 ちなみに一般人が政治に参画するルートは選挙だけではない。たとえば、官庁(官僚組織)は業界団体などの意向を聞いて政策案を修正する。官僚が公聴会や意識調査をやって政策案を修正することもある。新聞社などマスコミが独自の見解を主張したり、世論調査の結果をてこに政府に問題提起したりする場合もある(今回の特定秘密保護法案のように)。

 あるいは政党である。政党は、ばらばらの民意を一定方向に束ねる装置である。それを通じて意思決定がしやすい環境を作る、いわば卸の機能を担う。有権者は個々の政策についていちいち自分の民意を表明せずとも政策群を“パック売り”している政党という“商品“を選びさえすれば、政党が自分の民意を反映してくれる。

 このように有権者の意思表明、政治への参画のルートはいろいろある。だから「民意が反映されていない」というのは「反映してもらえなかった人々」による主張であることが多い。自分の民意が反映されたと考える人は、むしろ黙っている。かくしてニュースは常に「民意が反映されていない」と報じる。これは民主主義のパラドックスである。「反映されていない」と声高に叫ぶ人が多数いる社会は、実に民意に寛容で、民主的な社会なのである。

科挙と革命

 ところで民意や選挙を重視する文明は、実は地球規模(歴史、広さ)で見れば、近代の西欧に由来する極めて特殊な方法でしかない。人類の歴史のほとんどは民主主義なしでやってきた。

 たとえば中国。支配される民衆の政治参画の方法は選挙によらず、科挙と易姓革命で保障された。皇帝と官僚たちが世の中を支配する。しかし科挙に受かれば平民から官僚になれた(時代によって程度の差があるが)。また皇帝が横暴な場合には、革命で皇帝を替える方法が用意され、何度もそれが起きた。

 今の中国には議会や選挙があるが、伝統的には議会選挙よりも官僚への立身出世を通じて参画を保障してきた。普段は穏やかに科挙による参画を促し、それがだめになると一気に革命というのが中国流である。

日本型モデル

 翻ってわが日本国はどうか。西洋型(議会制民主主義)と中国型(科挙、革命)のハイブリッド型だ。

 日本には、参画チャネルとしては議会選挙がある。一方で権力は官僚にもあって、その正当性は科挙、つまり国家公務員試験で裏打ちされる。これはバランスがいいようだが、実はダイナミックな政権交代が起きない。西欧型に徹すれば選挙で政権が交代する。中国型なら革命で王朝が変わる。日本ではどちらも起きない。

 第1に権力の二重構造が「革命」を拒絶している。天皇制は血統で保障された王朝であり、交代することがない(そのかわり俗世の実権をほとんど持たない)。おかげで社会は安定する。

 第2に官僚である。科挙、つまり公務員試験で選ばれた官僚たちが仕事を安定的に行う。「天皇の官吏」という位置づけは、まことに保守的で変化を起こしにくい構造である。

 かくして、わが国の統治機構は革命も選挙を通じた政権交代もなく、科挙と天皇制という社会安定の仕組みの上で物事が容易には変わらない構造を形成する。

 第3に議会が弱い。国民主権だから議会は相当の権力を握る。だが長年、議会は与党が牛耳ってきた。権力の交代はそこでの派閥争いを経て起きるのだが国民は参加しないし、できない。かくして議会の権力は議場内での多数派獲得に終始する。

 こうした意味で昨今の「民意」ブームはその意味で実はまだ見ぬものに対する郷愁の様相を呈している。日本は西欧にはなれない。そして議会制民主主義も天皇制もたぶんやめることはないだろう。だとしたら動かせるのは科挙のあり方だけかもしれない。具体的には、国家公務員制度、国家公務員試験のあり方が日本の統治機構を大きく変える唯一のレバーのような気がする。

上山 信一(うえやま・しんいち)
慶應義塾大学総合政策学部教授
上山信一
慶應義塾大学総合政策学部教授。運輸省、マッキンゼー(共同経営者)等を経て現職。大阪府・市特別顧問、新潟市都市政策研究所長も務める。専門は経営改革、地域経営。2012年9月に『公共経営の再構築 ~大阪から日本を変える』を発刊。ほかに『自治体改革の突破口』、『行政の経営分析―大阪市の挑戦』、『行政の解体と再生』、『大阪維新―橋下改革が日本を変える』など編著書多数。