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エンジニアリングマネージャーのスグ・マラン氏(左)とエンジニアのマット・リッツォ氏(右)
エンジニアリングマネージャーのスグ・マラン氏(左)とエンジニアのマット・リッツォ氏(右)
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 最大規模のネット動画サイトとして定着した「YouTube」。2005年にサービスを開始し、2006年10月にはGoogleの傘下入りを決めた。そして2007年6月には9カ国の言語に対応するなどサービスを拡大し、利用者は増え続けている。開始からわずか2年間。これだけの影響力を持つ動画サイトに成長するまで、どんな軌跡をたどってきたのか。エンジニアリングマネージャーのスグ・マラン氏と、YouTubeの黎明期からエンジニアとして籍を置いているマット・リッツォ氏に聞いた。

●YouTubeのサービスはどんな形で生まれたのでしょうか。

リッツォ氏(以下R氏):元々、スティーブとチャド(YouTube創業者のスティーブ・チェンCTOとチャド・ハーレーCEO)と僕ら(リッツォ氏とマラン氏)は、オンライン決済サービスを手がけている米PayPalの社員でした。スティーブとチャドが独自のサービスを始めたのは2005年2月ごろではないでしょうか。最初は、すぐお金になる恋人探しサイトのようなサービスをやっていたようです。でもそれを見た友達は、面白そうだけど女の子がいないねって言っていました(笑)。何かを始めるときには、その先がどう変化していくか分からないものです。

 そして2005年の夏に、Flickr(米国の写真サイト)の動画版を作ろうとなったのです。2005年11月には初めての投資を受け、12月にはサービス開始のプレスリリースも公開しました。それから、ユーザーがだんだん増え始めたのです。そのころ、私はインドで仕事をしていましたが、スティーブと面会して一緒にやらないかって誘われたのです。会った場所はYouTubeの会社があるサンマテオ(米国カリフォルニア州)のコーヒーショップ。スティーブはPayPalの社員だったとき、10万ドルくらいを貯めていたようで「この資金がなくなるまでYouTubeに賭けてみたい」と言っていました。

 YouTubeには150~200本程度の動画がアップされている状態だったけど、ヒットするかも知れないと思ってYouTubeに入ることにしました。当時の社員は20人くらいで、僕は5人目のエンジニアでした。