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【後編】1分岐貸しは競争を阻害する,無線はビジネスモデル描けない

>>前編 

KDDIが1月に中部電力子会社の中部テレコミュニケーションの買収を発表した。電力系事業者として,今後のKDDIとの関係はどうなるのか。

 KDDIがパワードコムを吸収合併した時点から,我々はKDDIと強固な関係を維持していこうと,さまざまな討議を重ねてきた。現在は,友達というよりもむしろ“親戚”に近い関係になっていると思う。

 例えば,営業活動でも積極的に協力している。関西でKDDIが受注した回線の足回りを,当社がサービスを提供するといったことだ。関西以外で当社がサービスを受注した際にはKDDIに実質的にお願いすることもある。

 ほかの電力系事業者とは異なり,ケイ・オプティコムの親会社である関西電力は,情報通信をグループ事業の柱の一つとして,付加価値を付けて提供する方針を取っている。そのためには,事業者と顧客が互いに顔が見える関係になければならない。関西電力にとってケイ・オプティコムは事業の一部門という位置付けになっている。

KDDIをはじめ通信事業者はNTT東西と対抗してサービスを展開する上で,光ファイバのアクセス回線を欲しがっている。これらから関係を強化しようとする動きがあるのでは。

 それはあり得ると思う。例えばコンシューマ系だと,回線卸のような形態もあるだろう。そうしたいろいろな発展が考えられるが,料金の折り合いがついて双方がWin-Winにならなければ,商売は成り立たない。

現在,サービス提供エリアでの世帯カバー率はどの程度か。

田邉 忠夫(たなべ・ただお)氏
写真:柳生 貴也

 近畿2府4県で92%に達している。しかし,これを100%にしていくのは,山間部などもあって非常に難しい。

 世帯カバー率を上げるために,地域WiMAXのような方策もあるが,それでも基本はやはり光ファイバだと思う。ただし,ラストワンマイルで光ファイバを敷設するのが困難であれば,無線を活用することもあり得る。問題は価格をどこまで安くできるかだが。

無線を活用する場合,地域WiMAXへの関心は。

 地方自治体の要請があれば応える必要があるのではと思うが,当社が事業主体になってやる意味は薄いと思う。

 ただWiMAX事業を展開する事業者がいれば,必ず光ファイバが必要とされる。ここには我々が光ファイバの提供で協力できる。その方がビジネスとしては堅実ではないか。

かつてはPHS事業も手がけていたが,もう無線系サービスはやらないのか。

 一言で言うと,無線系は怖い。音声を取り扱うのも怖い。全国を網羅しなければならず,そのために莫大な先行投資が必要になるからだ。IP電話はほかの事業者とつなげるが,自分だけで音声サービスを提供するのは厳しい。

 携帯電話事業者から回線を借りて,MVNO(仮想移動体通信事業者)として無線事業に参入することも考えていない。本当に無線ではビジネスモデルが描けないからだ。

2008年以降のNTT東西のダーク・ファイバ接続料や,1分岐/8分岐問題に決着が着きそうだ。

 1分岐/8分岐の問題では,総務省の委員会で意見を述べた。その場で主張したのは,当社を含む電力系事業者,CATV会社などは自力で光ファイバを敷設しているということだ。

 なのにほかの事業者が自分で敷設する努力もしないで,「それは高い」と言うのは受け入れられない,というのが基本的な意見である。もしもNTT東西が他事業者に1分岐貸しを行うようなことになれば,NTT東西の光ファイバの料金が下がるため,我々の事業までがだめになってしまうだろう。

 我々がNTT東西よりも困難なのは,国道や公道の電柱に取り付けようとすると,国道事務所や自治体から2次占有の許可が必要になること。2次占有の料金も支払わなければならない。

 また,工事のための人員確保も大変だ。光ファイバの需要は,例えば8月になると下がってしまう。それでも工事会社は次の需要に対応できるようにするために,工事の人員を抱えておかなければならない。

 こうしたものがすべて光ファイバのコストになって跳ね返る。我々はこれほどの苦労をしながら,光ファイバを敷設してきた自負がある。しかも,他社と同じ回線を使うとなると,サービスが横並びになり,競争にならなくなってしまうだろう。

ケイ・オプティコム 代表取締役社長
田邉 忠夫(たなべ・ただお)氏
1940年生まれ。兵庫県出身。姫路工業大学工学部電気工学科卒業。63年4月に関西電力入社。85年 6月に東海支社次長,91年6月に情報企画部長,97年6月取締役情報通信室長に就任。2000年6月取締役経営改革IT本部副本部長,同年11月にケイ・オプティコム代表取締役社長。2001年4月に関西どっとコム代表取締役社長兼務。趣味は園芸。

(聞き手は,松本 敏明=日経コミュニケーション編集長,取材日:2008年2月19日)