2009年10月、日本ネティーザが新アーキテクチャを採用したDWH(データウエアハウス)アプライアンス製品「TwinFin」の出荷を開始した(関連記事1、関連記事2)。米本社の創業者で現会長のジット・サクセナ氏は、製品開発の考え方について「プロセサやディスクなどの各コンポーネントは確かにコモディティ化したが、それらの組み合わせでイノベーションを起こす」と話す。創業時から一貫してこの考え方で製品を開発してきたとするサクセナ氏に聞いた。(聞き手は谷島宣之=日経コンピュータ編集長、吉田洋平=日経コンピュータ、写真は北山宏一)
最近、DWHアプラインアンス製品が注目を集めている。なぜ2000年の段階で、ネティーザを創業しようと思い立ったのか。
三つの理由があった。それは市場、テクノロジー、ビジネスモデルだ。
まず市場について。我々が創始した2000年の後半は、今後データ量があちらこちらで急激に増えていることを市場が認識し始めていた。将来的には完全にすべてが無線で接続するという社会が想定され始めており、当時すでにデータは指数関数的に増えていた。
急激に増えているデータの内容に着目したところ、生データだけでなく、その集約データが増えていることが分かった。そこで我々は、集約データからデータの詳細を掘り下げていくと、そこにデータそのもののインテリジェンスが存在している、という確信を得た。
アプリケーションを見ると、集約データだけを見て詳細を見逃したがために、全く全容を見失ってしまうというケースがいくらでもあることが分かる。情報そのものも見過ごしてしまったり、顧客マーケティングで的が外れてしまったりする。

詳細を分析していくことによって、全く新しいパラダイムが生まれてくると考えた。加えて数百T(テラ)バイト、やがては数百P(ペタ)バイトとデータ量が増えていく中で、この詳細の分析は絶対的な要件になると予測した。「できればいいな」という世界から、「絶対必要な要件だ」というように、必ずなると当時から思ったのだ。
この動きはERP(統合基幹業務システム)の台頭以上のものになるであろうと考え、投資をする価値があると判断した。数年後には10億ドル規模以上の事業になり得ると想定した。
次に二つ目のテクノロジーについて。当時、それまでの数年間でコンピュータ業界が大きく細分化されてきた。ストレージはストレージ、プロセサはプロセサ、ソフトウエアはソフトウエアという具合に細かく枝分かれしていた。実際、大手ベンダーでは、まさにこれが今でも受け継がれている。ストレージ部門があって、プロセサ部門があって、ソフトウエア部門があって、お互いがお互い、何をやっているか分からないのが現状だ。