![]() 新型「bB」の発売前後のマーケティング戦略を担当した、トヨタ自動車宣伝部広告室オールトヨタグループの中澤次郎氏 [画像のクリックで拡大表示] |
トヨタ自動車が約1年前にフルモデルチェンジしたコンパクトカー「bB」が、商品魅力の伝え方で“社内常識”を覆した。
テレビコマーシャル(CM)によるマスマーケティングを抑え、インターネットを介して口コミが広がる仕掛けを次々と打ち出したのだ。テレビ離れが目立つ20代男性を明確に狙った宣伝戦略が功を奏し、新型bBの2006年の販売数は約6万3000台。2002年から毎年4万台前後だったが、5年ぶりに6万台を超えた。
トヨタの車種別の宣伝予算は通常8~9割をCMに費やす。だが「新型bBでは半分に抑えた」と、宣伝部広告室オールトヨタグループの中澤次郎氏は明かす。また現時点では車種は公表できないが、新型bBと同様に、宣伝戦略の一環として携帯サイトを設けて、そのコンテンツを拡充する見通しだ。
新型bBは、車への関心が低下傾向にある20代男性を振り向かせ、2005年12月末の販売開始から約1カ月で1万2500台を受注した。これは目標の2.5倍。外観も装備も個性の強いbBは、同社の「カローラ」ほどは売りやすくない。それでも販売台数が2006年1月は国内4位、2月は5位。異例の大健闘だった。
まだ20代後半の若手をリーダーに
「日本初、世界初の誰も見たことがない宣伝をしよう!」――。2005年2月、10カ月後に発売する新型bBのプロモーション戦略を練るため、若手プロジェクトチームが発足した。当時27歳だった中澤氏を実質的な取りまとめ役とし、商品企画、デザイン、営業、技術などから7人が選ばれた。若い中澤氏は意気に燃えた。
新型bBはトヨタの将来を担う戦略車だ。様々な調査が「20代男性の車離れが進んでいる」と示していた。しかもトヨタのシェアはこの層だけ40%を下回る。彼らに売らなければ会社の将来に不安がよぎる。その商品魅力の伝え方に失敗は許されなかった。
チーム発足時、新型bBのデザインや機能、性能はほぼ確定していた。この層は走りよりも居住性を重視する人が多いと分析し、それに則したデザインや装備、性能を持った車に仕上げつつあった。例えば「妖(あや)しさ」「いかつさ」をコンセプトとしたワイルドな雰囲気の外観。9つものスピーカーと音楽に合わせて点滅する11個のイルミネーションを装備した車内。ボディー剛性の向上やワイドタイヤの採用などで乗り心地の快適さも高めた。
変化が激しいからこそ「現地現物」を徹底
20代男性の心に刺さる商品魅力の伝え方は何か。ターゲットと同世代の中澤氏は、自分があまりテレビを見ないことに気づいていた。インターネットに接する時間が長く、広告よりも友人からの口コミを信頼する傾向が強い。「車の宣伝といえばCMが常識だが、今回はリアルでもネットでも口コミを広げる仕掛けが重要。しかも車を所有することにステータスを感じる若者が減り、普通に宣伝しても興味すら持ってもらえない」
問題はこの考えを社内の関係各部にどう納得してもらうか。トヨタほど成功体験が豊富な企業では、宣伝に関する社内常識を覆すことにアレルギー反応を起こす人が出てきても不思議ではない。
そこで中澤氏が採った行動は、足で稼ぐ徹底したデータ収集だ。トヨタ社内用語で言えば「現地現物」。自分で現場に行き、自分の目で徹底的に検証する。キャッチコピーやイベントなどから成るキャンペーン案を20通りほどチーム内で考え出したところで、実際の20代男性に意見を聞いてみることにした。「彼らの価値観は多様化し、変化も激しく、共通性が分からない。現地現物で生の声を徹底的に聞こう」。季節は夏を迎えていた。
調査会社に頼み、約60人の20代男性を集めた。この時のアンケートやインタビューは、約20あったキャンペーン案を4つに絞り込み、「この企画は面白いか」「この企画に参加してみたいか」「この企画は友人との間で話題になると思うか」「この企画を通じて車に興味がわいてくるか」を聞き出すものだった。最初の2つの質問でターゲットの興味を引けるかを、3番目の質問で口コミが発生する可能性を、最後の質問で新型bBがどういう車なのかを一度でも見たいと思ってもらえるかを判断しようとした。
![]() 中澤氏の後を引き継ぎ、新型bBのマーケティングを担当している三巻光一郎トヨタ自動車宣伝部広告室第2グループ主任。写真右下は新型bB [画像のクリックで拡大表示] |
新車発売前にグループインタビューを行うのは珍しくない。だが、具体的なキャンペーン案を開示して是非を聞いたのは初めて。アイデアが流出するリスクもあるが、20代男性に共通する好みを読み取るにはここまでしないと難しいと踏んだ。
インタビュー時は、なぜそう思うのかを5回は掘り下げた。「なぜ面白いか」「キャッチコピーが良い」「なぜ良いか」「最も興味がわく。どきっとする」「なぜどきっとするのか」「トヨタがミュージックプレーヤーを発売ってどういうことか気になる」「なぜ…」といった具合だ。現地現物やなぜを5回繰り返す発想は同社ならでは。今年1月にbBのマーケティング担当を引き継いだ宣伝部広告室の三巻光一郎主任は、「現地現物などの考え方はどの部署でも若い時からたたき込まれる。しかも市場が変化しやすくなり、その重要性が増している」と話す。
つまり、今回の仕事の進め方は常識外れではない。「プロセスは従来通りのトヨタ流」と三巻主任は補足する。だがそこから出てきた戦略は革新的。宣伝予算の半分をCM以外に費やし、車を「ミュージックプレーヤー」というキャッチコピーだけで売り出す。全国の若者の多くが音楽を肌身離さず生活しており、トヨタが音楽プレーヤーを発売すると宣伝すれば、その意外性との相乗効果で興味を強く喚起できるとみた。
もっとも「ミュージックプレーヤー」として宣伝する案に、全部門が最初から快く賛同したわけではない。難色を示す声もあった。例えばデザイン部門は個性的な外観を宣伝したがった。通常ならこれを売りにしても不思議ではない。しかも社内の誰もが誇りを持って仕事をしている。当然の反応だ。
中澤氏は調査データを示しながら愚直に説得を繰り返した。「本来は私も『こんな車でこんな機能を持ってます』と宣伝したい。でもそんな気持ちをぐっと抑えないと、若者は車と聞いただけで関心を失う。それが現実です。だからまず関心を喚起するために、多くの若者が興味を持つミュージックプレーヤーだと宣伝すべきです」
社長が親身にどん欲に聞いてくれた
![]() 中澤氏は新型bBを「音楽プレーヤー」として宣伝すると決意。発売前に放映を始めたテレビコマーシャルで、「トヨタ、ミュージックプレーヤー発売。」と訴えた。わずか5秒の短さが印象的だった [画像のクリックで拡大表示] |
実は、中澤氏はこの時すでに大きな関門を乗り越えていた。渡辺捷昭社長へのプレゼンテーションだ。車の宣伝なのにデザインや走りを訴求しない。そんなやり方に難色を示すかもしれない。しかも社長は雲の上の存在。緊張する。どう説明したら分かってもらえるのか。悩みに悩んだ。だが最後は、「ターゲットと同じ若者代表として思っていることは全部話そう」。そう考えたら吹っ切れた。現地現物の精神で集めたたくさんのデータも心の支えとなっていた。
いざ渡辺社長に会ってみたら、すごく親身にどん欲に話を聞いてくれた。「確かに若い時は音楽や恋愛に没頭しがち。どんどんアイデアを出して思いっきりやってくれ」と言われ、中澤氏は勇気づけられた。「社長はワグネル(慶応義塾大学の男性合唱団)で活躍していたので、なおさら共感してくれたのかも」と中澤氏は笑う。
こうして迎えた12月1日。26日の発表日に先駆け、キャンペーンを展開し始めた。新型bBの情報は載せずに専門サイトをオープンし、20代男性に人気のDJ(ディスクジョッキー)が動画ブログを使って音楽と車の関係を熱く語り始めた。「どうも~。この番組はTOYOTAから発売されるというクルマ型ミュージックプレーヤーに注目。毎週更新してその謎に迫っていきますよ」
9日には若い視聴者が多い深夜帯を中心にわずか5秒のCMを放映し始めた。青い画面に「トヨタ、ミュージックプレーヤー発売。」の文字とURLだけが表示され、車の「く」の字も出てこない。「とにかく目立っていた。面白いことを始めたなと思った」と三巻主任は当時を振り返る。
勲章はbB史上最高の車名認知率
![]() 新型bBの発売予告キャンペーンの一例。写真上2点は大型音楽CDチェーン店「HMV」とのタイアップ企画。写真下2点はポスターを利用した特製バッチの無償配布企画。携帯サイトにアクセスできる2次元バーコードを印刷したカードを一緒に配った [画像のクリックで拡大表示] |
「トヨタが『iPod』(米アップルの音楽プレーヤー)を発売するのか」という憶測も生んだサイトとCMを筆頭に、実行した施策は斬新なものばかり。化粧品などとは違って車はサンプル配布できないが、この常識も覆した。携帯サイトに接続できる2次元バーコードやURLや「トヨタのMUSIC PLAYER」という言葉を印刷したカードと一緒に、音符マークを描いた青いバッチを渋谷など7大都市で17日から計20万個も配った。
さらに、若者に人気の音楽CDチェーン店「HMV」の店員や音楽番組「MTV」の司会進行役の人たちに青い特製Tシャツを着てもらった。
極めつけは26日の新型bB発表イベントだ。車の発表会を初めてクラブで開催。ゲストに人気ミュージシャンの布袋寅泰氏とリップスライムを招き、ミニライブを決行。その様子は動画ブログで詳しく紹介し、全国でCDも発売した。
中澤氏は一連の企画を練る際、「20代男性の情報枯渇感を高めてサイトに誘引したい」と考えていた。そして彼らの1日の行動パターンを徹底的に調べて仮説を立て、彼らが触れる可能性が高い“場所”にいろんな仕掛けを用意したのだ。
狙いは的中した。開設当初は1日3000~4000PV(ページビュー)だったサイトのPVはCM放映後から急伸し、12月12日に「Yahoo!ニュース」で紹介されると6万5000PVに到達。新型bBの披露直後の26日と27日は20万PV近くまで伸び、2カ月で累計220万PVを記録。「マークX」の190万PVを抜いてトヨタ史上1位となった。
車に関心が低い20代男性を振り向かせない限り、新型bBの成功はなかった。トヨタは車名認知度を毎月調査しており、2000年2月発売の初代bBは最高でも7.2%。それが2006年1月は9.4%となり、2月に10%に到達した。